2011年10月31日月曜日

まつお道場を知っていますか?

どうしても紹介したいサイトがある。

まずはリンク先を見てほしい。
で、どれでもいいのでログをひとつ読んでほしい。

まつお道場

8〜9年前に「テキストサイト」ブームというものがあった。
まだブログもなかった時代、個人HPの黎明期の頃に、
文章のみ(一部写真を交えて)で更新されていくサイトのことだ。

個人の日記をベースにしたものが多かったが、
ネットで発見した不思議な物や出来事、
日常に潜んだ非日常など、題材は多岐に広がりを見せた。
また、作者のほとんどはアマチュアなのだが
高い文章力やお笑いセンスを発揮して
質の高いテキストを量産し、
あっという間に万を超えるPVを獲得するサイトも出てきた。

中でも有名なのが「侍魂」の「先行者」の記事だと思う。
これは当時、友人の間で話題になり、
大学のパソコンルームで笑いを押し殺しながら読んだ記憶がある。

そんなテキストサイト全盛の時代にあった「まつお道場」。
決してブレイクしたとは言えないサイトだったが、
日常の手に届く範囲にあるヘンテコな出来事を、
ただ文書のみで綴っていくスタイルが大好きだった。

2002〜2003の2年間足らずで定期的な更新は止まったけど、
中盤から後期の安定したおもしろさはかなり引き込まれる。
英会話の個人レッスンの話は本当に最高。
僕があれこれ語るより読んでもらった方が早い。
ぜひ読んでほしい。

懐かしがってサイトを読みふけるふちに、
メールアドレスが書いてあるのを発見した。
試しに送ってみたものの、宛先不明の通知が返ってきてしまった。
残念だけど、まあ仕方ない。

管理人の「松尾待男」さんは、おそらく僕と同い年。
三十路に差し掛かった彼がどこで何をやっているか、
もう知る由もないけど、この才能を発揮できる
ステージで活躍していることを願ってやまない。

2011年10月27日木曜日

ライターズ・ハイ

とにかく続けてみようと、
そう思ってFacebookのノートや
ブログに長文を書き続けて2ヶ月近く経った。
更新の頻度として決めたのが「隔日以上、毎日未満」。
今日が10月27日で、この更新が今月17本目となるので、
一応目標には届いている計算だ。
エラいエラい。
誰も言ってくれないので言っておこう。

文章力は筋力と同じだと思っている。
質は物量で上げられるし、
使わなければ衰えていく。
これは書くスピードも同様で、
そのことは自分の身をもって体験してしまった。
ライティングを本業でやっていた時とくらべて、
書くのが遅くなっていることに、ある日気づいたのだ。

運動不足解消のために、
ジムに通ったりジョギングをしたりするように、
僕はブログを書いている。
で、勘はある程度取り戻せてきた。
そうなってくると、また別の物が見えてくる。

毎日のように書いていると、
その時の気分、体調、テンションなどが
如実に文章に表れてくるのだ。
まるで自分の心を鏡でのぞいているようだ。
ちょっぴり恐い部分もあるのだけど、
日常的に精神をメンテナンスするのは
結果的にはいいことの方が多い。
未読なのですが「心を整える」というやつでしょうか。

さらに、書かなきゃいけないと思うと、
ネタ探しをするようになる。
変わった出来事を探すという意味でもあるけど、
ありきたりな出来事に対しても見方が変わる。
そのことが起こるまでにどんなプロセスがあったか、
それが起こったことで周りの人や自分は
どんな変化を辿るかといったことを
観察したり分析したりするようになる。
一日が濃くなるような感覚だ。

あと、これを体験したことがある人が
どれだけいるのかわからないが、
書いているとたまに、
脳内物質がドバドバあふれ出てきて、
気分が高揚してくることがあるのだ。
いわば「ライターズ・ハイ」というような状態。

これは病み付きになります。

2011年10月26日水曜日

ワイナリー「カーブドッチ」社長の講演を聴いてきた。

新潟にはワイナリーがある。
その名も「カーブドッチ」。
12,000坪の敷地と、それを取り囲む21,000坪のヨーロッパ式ぶどう畑。
ワインの製造施設だけでなく、
レストランやパン工房にアイス工房、
おまけに温浴施設まであって、
年間31万人のお客さんを集めると言う。

そのカーブドッチのオーナーである
落希一郎さんの講演を聴いてきた。
ちなみに「カーブドッチ」とは
フランス語で“カーブ・ド・オチ=落のワイン蔵”という意味だ。

落さんはもともと新潟と縁もゆかりもない。
鹿児島の出身で、東京外国語大学を中退した後、
海を渡って西ドイツ国立ワイン学校を卒業。
北海道や長野でワイン事業にたずさわり、
理想の国産ワインをつくる環境を求めて
たどり着いたのが新潟だった。

ワインの製造に適したぶどうは、
食用のそれとは異なる。
国内に存在するいくつかの国産ワインのほとんどが、
輸入されたぶどう果汁やワインそのものを
材料につくられているのが現状らしい。

落さんは、本物のぶどうを使った本物のワインをつくるため、
少量生産・少量消費にこだわる。
また、あえて「客を差別化する」というのもこだわりだ。
カーブドッチのメインターゲットは大人の女性とし、
小学校入学前の子供、観光バスで来る団体客は
基本的に受け入れていない。

女性は「よその家の子供が嫌い」であり、
観光バスは「単価が低すぎる」というのがその理由。
うーん、辛辣ながらするどい分析です。

もちろんそれは闇雲なこだわりではない。
結果として多くの女性客の支持を集め、
リピーターは8割にのぼっているのだ。
何度でも訪れたい場所を
つくりあげることに成功している。

いたずらに事業を拡大せずに、
自信を持って提供できる商品と環境を
本当にその良さがわかるお客さんだけに届ける。
そんな姿勢が良質なファンを
着実に増やしているんですね。
示唆に富んでいるなあ。

そして、落さんが講演で終始主張していたのが
「緑化」の重要性だった。

ドイツでは広い土地を持つ企業や個人が緑化に積極的で、
そうやってできあがった自然あふれる環境が
人々の暮らしやすい町をつくっていくという。

日本においては、広大な土地を持っているのは「企業」だ。
だから、企業が積極的に緑化するべきだと落さんは言う。
「事業を成長させていくこと」と
「環境を美しくしていくこと」は同じことで、
特に経営者や政治家たちがこのことに前向きになれば
新潟はもっと美しい町になれる、と。

「自分が働く環境は、キレイなほうがいいでしょ」
という言葉に、自然とうなづいてしまっていた。

飾り気のない言葉に、するどい主張、
時々おちゃめな冗談を交える落さんからは、
還暦を過ぎたと思えないパワーがあふれていた。

えー、ところで、非常に言いにくいのですが、
わたくし、まだカーブドッチに行ったことがありません。
実にもったいないですね。あかんあかん。
近いうちに、かならず行きます!

2011年10月22日土曜日

ナントカワライダケ

おじさんが若者を見て言う。

「自分が君くらいの歳の時は、
もっと馬鹿だった。
今の若者はよく物を知っているし、
立派な考えを持っている」

褒めているのかと思っていたら、
あっという間に憂いにすり替わる。

「だが、小さくまとまってるなあ。
無謀でも何かにチャレンジする気持ちとか、
ガムシャラに何かに熱中するとか、
そういう熱いものはないのかね?」

うーん、ちょっと違うのではないだろうか。

教育というのは、経験則の集大成だと思う。

たとえば、僕らは食べられるキノコを
いくつか知っているけど、
昔の人はそれを知らなかったわけだ。
シイタケは食べられるけど、
ナントカワライダケは食べちゃダメということがわかったのは、
かつてナントカワライダケを食べた人がいたから。
それを食べて当たってしまったり、
死んでしまった先人がいたからなのだ。

先人たちの失敗や尊き犠牲を積み重ねた先に、
僕らの知識は存在している。

だとすれば、昔の若者より今の若者の方が
賢いというのは当然なのではないだろうか。
昔の若者が失敗した、その同じ轍を踏まないように、
彼らはその経験則を次世代に受け継いできたのだろう。
そして、それは着実に根付いている。
教育は成功しているのだから、そのことに胸を張ればいいと思う。
すぐ憂いちゃうのは悪いクセだ。

だけど、教えられないこともきっとある。
つまづかないように気をつけることは教えられるけど、
転んだ時にどうやって起き上がるかは教えられない。

おじさんたちよ、心配しなくても若者は転びます。
そしていつか、自力で起き上がります。
大丈夫。

2011年10月20日木曜日

声にならない叫び

「キャズム」という言葉がある。
マーケティング用語のひとつで、
先駆けとなるユーザーと
一般ユーザーとの間に存在する深い溝のこと。
「谷間」と言ってもいいかもしれない。
新しいテクノロジーが市場を獲得していくにあたって、
この谷間を越えられるかどうかが
ひとつの大きなターニングポイントとなってくる。
ツイッターやスマホは、
ちょうどキャズムを越えたと言えるだろう。

「デスバレー」という言葉がある。
読んで字のごとく「死の谷」のこと。
研究開発や経営の用語として用いられ、
新たに開発された技術が、
新製品や事業化にたどり着くまでに
越えなければならない危機を指す。
資金や人材の確保がその中身であって、
これを越えられずに倒産という
エンディングを迎えてしまうベンチャーも少なくない。

「失われた10年」という言葉がある。
これも言わば経済における「谷間」の時期。
日本では、バブル崩壊後の
1990年代前半〜2000年代前半を指している。
僕らの年代で言えば、小学校高学年〜高校時代と重なり、
物心ついた時からずっと不況だった気がする。
その後も未だ大きな回復は達成できてないので、
「失われた20年」とも呼ばれているそうだ。

かくして人類はあまたの「谷間」に直面しながら、
悩み、挑み、戦い、乗り越えて経済を発展させてきた。
新たな扉の前には、
常に「谷間」が存在しているといってもいいのかもしれない。
「ピンチはチャンス」という言葉にも
そんな示唆を感じてしまう。

ところで、これだけ谷間の話をしてきたが、
女性の胸に話題をすり替えていくつもりは毛頭ない。
「小さすぎず、大きすぎず、C〜Dくらいがちょうどいいよね」
なんてこれっぽっちも頭をよぎっていない。
谷間ってネガティブな意味のものばかりだけど、
胸の谷間だけはすごくすごくポジティブな存在で、
世の中の均衡を保つ救世主だなあ、
なんて僅かたりとも考えていない。
考えていないったら、考えていないんだ。

だけど、なんでだろう。
これだけ谷間谷間と連呼しているのに、
ちっともゲシュタルト崩壊しないのは。
頭の中の谷間の映像が、ずっと肌色なのは。

2011年10月18日火曜日

町のテーマパーク化

完全に思いつきですが。

町のテーマパーク化というのを
やっていったらどうだろう?

①いいテーマパークは一日過ごせる。
アトラクションがおもしろい。
待っている間もストーリーを味わえる。
テーマパーク内の移動が楽しい、もしくはラクチン。
ごはんやデザートが充実していて、
世界観と繋がっているし、もちろんおいしい。
おみやげにも抜かりがない。
一日いて飽きないから、ついお金を使ってしまう。

②いいテーマパークはまた来たくなる。
一回行っただけでは見つけきれない宝探し要素が満載。
定期的に新しいものが誕生するから、
何度行っても発見がある。
そこでしか味わえない世界があるから、
また行きたくなる。行くほどにファンになる。

③いいテーマパークは話したくなる。
「この前○○に行ってきたんだよ」
「えー、じゃあ××に乗った?△△は食べた?」
一緒に言った人じゃなくても、体験を共有できる。
共有できるけど、一緒じゃないから
お互いが知らなかったことも見つかる。情報交換できる。
そうして話しているうちに、また行きたくなる。

④いいテーマパークにはテーマがある。
ディズニーランドは「夢と魔法の国」。
普段生活している現実とは全く違った世界へ行ける。
富士急ハイランドは「絶叫天国(勝手につけました)」。
ギネスを更新するために、定期的に新しい絶叫マシンを導入している。
あのスリルは他所ではちょっと味わえない。

当然ながらディズニーランドを思い浮かべながら
適当に挙げていった条件だけど、
「楽しい空間に求めるもの」を考えていくと、
おのずとこういったものなってくるんだろう。

「町の活性化=町という単位でのブランドづくり」が
文化的にも商業的にも成功しているのは
秋葉原がダントツだと思うんだけど、
やはりと言うか、さすがと言うか、
全部を満たしているんだよなあ。

2011年10月16日日曜日

大人の階段

昨晩の酒席では、割と良いことを言っていた気がする。
下ネタもたくさん言ったけど。

若い頃持っていた「おっさん像」の特徴を挙げてみると
・説教くさい
・オヤジギャグを言う
・下ネタが好き
・声が大きい
というものがあった。

30歳を目前にして思うのだが、
これらは明らかに忍び寄ってきている。
そして、その原因たるや
一言で片付いてしまうのだ。

つまり「自制心が甘くなっている」ということ。

なぜ20代前半~中盤の頃は、
おっさん的じゃなかったか?(変な言い回し)と言うと
しかるべき自主規制ができていたのだと思う。

昔から、持論を語りたくなる場面はあった。
つまらないギャグを思いつく場面、
話題をエロへ向かわせたくなる場面、
ついボリュームが不安定になる場面もあった。
だけど、そんな時でもドモホルンリンクルの工場のように
頭の中にいる品質管理者が
一つひとつ手作業でチェックをして、
外に出すべきものとそうじゃないものを選別していたのだと思う。
まあ、時々スルーしてしまうことはあったけど。

最近は困ったことに、品質管理の
チェックが甘くなってきた。
話していることが説教くさいなあ、と
冷めてしまうこともあるし、
オヤジギャグなんか言ってしまった日には、
自分で自分がイヤになる。

だから、ふんどしを締め直して
自主規制を厳しくすることにした。
この言葉は信じてもらっていい。本気の覚悟。

だけど、あまりガマンするのも良くない。
現代を生き抜くビジネスマンとして
ストレスをうまく発散するのも大事な能力だ。

「それ以外を自制する代わりに、下ネタはたくさん言う」
これでどうだろうか。
僕が下ネタを言っていたとしても、
他を我慢しているわけだから、
「まあ仕方ないか」と思ってもらいたい。

言いたいことは、つまりそういうことだ。

2011年10月13日木曜日

怒りの炎は、静かに燃えて

沖縄からの帰りの飛行機。
生まれて初めて一番前の席に座ることができた。

どちらかと言うと空席が目立つ機内だったので、
3列シートの窓際に座った僕の横は空席だった。
通路側には男性が座ったので、
真ん中の席が空く形になったわけだ。

無事に飛行機は飛び立つ。
ベルト装着ランプの消える音が
安定飛行の体勢に入ったことを告げる。

すると次の瞬間、通路側の男性が
天井の荷物入れ(正式な呼び方がわかりませんが、
網棚っぽい場所にあるやつのことです)を開けたかと思うと、
MacBook Proと共に何冊かの書籍を取り出し、
彼と僕とのあいだの席に置いたのだ。

何も言わずに。

僕と彼との間にあるこの席は
いわば永世中立シート。平和の象徴だ。
自分も侵さないかわりに、相手に侵される心配もない。
そんな不文律がこの真ん中のシートにはあり、
このシートこそが調和を保っていると
言っても過言ではないのだ。

だけど、彼はその均衡を崩した。

気にしない人は気にしないのだろうが、
僕はこういうことで眉間にガッチリしわを寄せる。
間接的なデリカシーのなさとでも
言えばいいのだろうか。
こういう悪意がないというか、
サラッと無配慮なことをやる人間が、僕は断じて許せない。

静かな怒りの炎を燃やしていたのだが、
注意しようと思ったところで、
じゃあ何と言えばいいのかという問題が浮上する。

「そこはあなたの席じゃないぞ」か?
確かにそうだけど、僕の席でもない。
同じセリフで言い返されて、ゲームオーバーだ。

では「半分は僕のだ」か?
妥協案を探りに行っている時点で負けっぽい。
ましてや相手が納得してしまって「半分使ってください」と言われても
それはそれで困る。

なら「そこはみんなの席だ」か?
訳がわからない。中途半端に理屈を覚えた小学3〜4年生のようだ。
終わりの会が泥沼にはまって、
延々と帰れなかったあの頃を思い出す。

決め手を見つけられないまま、
隣に目をやると、その男性はMacを使って
肺のレントゲンを見ているようだった。
おそらく医師なんだろう。もしくは研究者。
ここで「インテリ」「金持ち」というバイアスがかかる。

そして、Macの背面には
子供が書いたらしきメモが貼ってあった。
「家族を愛してるアピール」というバイアスがさらにかかる。

弾き出される答えは「絶対に友だちになれない」だ。

2011年10月11日火曜日

雨に唄えば

昨夕のこと。
3日間にわたる出張の任務を
すべて完了したその時。
解放感に胸を躍らせる間もなく、
沖縄の空は土砂降りの雨を降らせた。

嫁をして「また連れてったの?」と言わせたからには、
長らく辞退してきた「雨男」の称号を、
この際慎んで拝命したいと思います。
アイ・アム・レインマン。

5月に松戸でお会いした皆さん。
あの日、バケツどころかバスタブをひっくり返したような
雨が降っていたのを覚えておいででしょうか?

9月前半の大阪出張。
台風と待ち合わせをしたかのように、
ドンピシャで突っ込んでいく形になりました。

9月後半の札幌旅行の時も雨が降ったし、
そこに来て今回の沖縄。

干ばつに悩む国々に行けば、
人の役に立てるかもしれない。
ちっとも望んでいないけど、
これが神よりあたえられた使命なのか。
つい、うっかり見つけてしまった天命。
まだ認めてしまうには若すぎる。

運命に翻弄される僕の心をよそに、
沖縄はちょうどお祭りの日だった。
雨に濡れたホテルの窓から見えたのは、
悪天候なんてどこ吹く風で打ち上がる大輪の花火。

なによ、そんなに見事に打ち上がったら、
あたいが悩んでるのがちっちゃなことに思えるじゃない。
ハハハ、もしかして、そんなので励ましてるつもり?
やめてよ、ますます景色が滲むじゃないのさ…。

2011年10月10日月曜日

Are You Ready for OKINAWA?

福岡での仕事を終え、
続いては沖縄にやってきた。
なまじ自分が休みでないものだから、
すぐ忘れてしまうのだが、世の中は3連休だ。
なにか大きなお祭りがあったらしく、
たくさんの人々が街を闊歩している。

さすが、暑い。それ以上にジメジメしている。
タクシーの運転手はやけに人懐っこくて、
一般道なのに90kmオーバー出すし、
お茶と言えば「さんぴん茶」だし、
ホテルの従業員はかりゆしを着ているし、
ホテルから一番近い居酒屋の名前は「ヤンバルクイナ」だ。
僕はまぎれもなく沖縄を感じているが、
まだまだ可もなく、不可もなく、といったところだろうか。
もっと来い。もっとグイグイ来いよ、沖縄。

でもまあ、安室奈美恵のようなオリエンタルな
雰囲気を漂わせる美人に出会えるのはきっとこれからだな。
焦ることはない、まだ2日もある。

昨夜は、その居酒屋「ヤンバルクイナ」に行って、
泡盛を飲み、ベタに沖縄っぽい料理をいくつかつまみ、
酒が回ってくるのに比例して、
会話の内容は熱っぽくなっていき、
それより後のことはなんだか忘れた。

ひとつ覚えているのは
「三日麹」という泡盛の限界に
チャレンジしようというノリになり、
「三日坊主」→「三日親父」→「吉川晃司」まで行き、
次に「三上博史」を試そうとしたところで、
ボトル丸ごとやってきたことくらいだ。

2011年10月9日日曜日

すべては真面目ゆえ

今夜も福岡にいる。
中州には行ってないし、
缶ビールを一本飲んだだけ。
福岡らしいことと言えば、
博多ラーメンを食べたくらいだ。
昼もコンビニだったし…って、
誰に言い訳しているのかはわからないが、
おそろしく質素な夜を過ごしている。

思うに「真面目」というのはポジティブな意味でも
ネガティブな意味でも使われる厄介な言葉だ。

コンビニに昼食を買いに行った時のこと。
レジでポイントカードの提示を求められたので、
お金を出す前に店員にカードを渡した。
次にとる行動は、店員はカードを機械で読み取ることで、
僕のなるべくおつりが少なくなるように
財布から小銭を取り出すことだ。

僕のほうが時間がかかる。少し考えればわかることだ。
だけど、その店員はカードを機械で読み取った後、
僕がカードを受け取るまで、ずっと両手で差し出していた。
買った品はまだそのまま。袋に詰められていない。

コンビニの本分とは「コンビニエンス=便利である」ことであり、
便利とはすなわち、ほしいものが素早く手に入ることだ。
カードを丁寧に返そうという気持ちはわかるけれど、
その真面目さは、もはや価値を失ってしまっている。

話は変わるが、また韓国から
「T-ara」というグループがやってきたらしい。
K-POP最後の女王というキャッチフレーズも仰々しいが、
やはりダンスが話題になっているそうだ。



…猫ダンス?
KARAや少女時代からの文脈を考えると、
ずいぶん置きにいったなあ。

広告の世界には「困った時のABC」というのがあって、
「A=動物(Animal)」「B=美人(Beauty)」
「C=子供(Child)」をそれぞれ指している。
どれも好感度が高いので、
広告に出しておいて間違いないというものだ。
猫ダンスに関していえば、このルールを知ってか知らずか、
2つ押さえているとも言える。
ある種、教科書以上に教科書どおりで、
これを企画したのも
きっと真面目な人なんだろうなあと思ったりした。

2011年10月8日土曜日

シックリコナーズ

福岡に出張で来ている。
今回は福岡で2泊し、沖縄に渡ってまた2泊。
人に話すと必ず「いいなあ」と言われる
4泊5日の旅。仕事ですよ、仕事。

まだ2日目なのだけど、
ちょっと不安に感じていることがある。
この出張、ことごとくシックリ来ていないのだ。

抽象的な表現だから具体的に説明すると、
まず出発の前日の時点で僕は2泊3日だと勘違いしていた。
普段から自分の弱点を
数字への苦手意識だとわかってはいるけど、
ここまでの計算ミスはあまりない。
数字を数えることすらできなくなったのかと
我ながら心配になった。

そして、新潟と比べて暑いのか同じくらいなのかも
よくわからなかったので、
持ってきた洋服もシックリ来ていない。
福岡に着いて「意外と寒いですね」と
知った風な口を聞いたけど、
「意外」も何も、気温に関して大した
イメージは元々持ってやしなかった。

「意外」という言葉は、
本来あらかじめ立てておいた予想に対して
そこを外れた現象が起きた時に使うべき言葉だ。

知り合いに手作り料理を食べさせられて、
あまりおいしくなかった時に
「意外とあっさりしてますね」と
言ってしまうときの「意外」と同じような使い方だ。
「意外」に対して失礼極まりない。ごめんなさい。

そして、空き時間を少しでも有意義に過ごすために
マンガを持ってきたのだけれど、これもシックリ来なかった。
ポジティブな紹介ではないので、タイトルは伏せるが、
行きの飛行機で1巻、朝起きて2巻、と読んで
いまかなりテンションが落ちている。読後感が悪すぎて悪すぎて。
今回の仕事の出来にも影響出そうだ。と言うか、夢に出そうだ。

と言うわけで、僕はシックリ来ないまま福岡の地にいます。
もつ鍋と酢もつ、おいしかったです。仕事ですよ、仕事。

2011年10月7日金曜日

ありがとうジョブズ

様々な人が様々な場所で、
このことについてコメントを寄せたり、
文章を書いたりするんだろうけど、
僕も今日ばかりは書きたい。

スティーブ・ジョブズが死んだ。

今朝、このニュースを目にした瞬間は
にわかには信じられず、
だけど、かき集める情報が
そのことを事実だと証明していき、
心にぽっかり穴が空いていくのを感じた。

まさかジョブズが自分にとって
ここまで大きな存在だったとは。
「失って気づく大切さ」という人間の業の
最もスタンダードなやつを
思い知ることとなってしまった。

昨晩は桑田佳祐のライブDVDを見ていた。
食道ガンの手術後、初の本格的なライブ。
舞台として選んだのは宮城県仙台市であり、
この復活ライブは復興支援ライブでもあった。

一つひとつの楽曲がいいのはもちろんのこと、
エンターテイメント性あふれる桑田佳祐のステージは
どれもすばらしいの一言に尽きるのだけれど、
今回のライブは神懸っていた。

慣れした親しんできた歌声は病気前と変わらず力強く、
歌う喜びと、被災した方へのエールと、
復興への祈りと、亡くなった方への哀悼と、
復活を待っていたファンやスタッフへの感謝にあふれていた。
目頭が熱くなった。

桑田さんは来年の2月で56歳。
スティーブ・ジョブズと同級生なのだ。
並べるのもおこがましいが、
奇しくも僕の両親も56歳だ。

ジョブズの死は、
ひとりの世界的な経営者・技術者がこの世を去った、
ということ以上の意味を持っている。僕にとって。

初めて自分で買ったアップル製品は、
初代iPod Shuffleだった。



フリスクのケースを思わせるおもちゃのようなボディ。
1万円を切る価格で、100曲以上つめこむことができる驚き。
そう言えば、当時はMDウォークマンからの乗り換えだったので、
容量を表現するのに「分」ではなく「曲数」だったのも驚きだった。
MDは1枚で76分とか、そんなもんだった。

それから、いくつかのApple製品を手にしてきたけど、
その都度何か新しいことを教わったような気がする。
MacBook Airからは「仕事はどこでもできる」ということを学んだし、
iPhoneからは「価値とは物ではなく機能に宿る」ということを学んだし、
iPadからは「使い道考えずに飛びつくな」ということを学んだ。
「必要なかったかなあ」と買った後に思ったとしても、
不思議と後悔はない。これもまたAppleの魔法かもしれない。

Dr.ヒルルクはこう言った。
「人はいつ死ぬと思う?(中略)人に忘れられた時さ」
ジョブズはクラウド化した、と表現した人がいたけど、
案外それは正解かもしれない。

ありがとうジョブズ。iPadの使い道、考えてみるよ。

2011年10月6日木曜日

衣食食食住

数日前テレビを見ていたら、黒柳徹子が出ていた。
言わずと知れたタマネギ・レディー。
頭の中には飴ちゃんが潜んでいるというウンチクもすっかり有名。
そんな彼女は、なんと今年で78歳。
喜ばしき長寿と書く「喜寿」も昨年の出来事である。

番組を見てて口から出てきたのが、
「元気やなあ」という月並みな感想。
よく笑い、よく食べる。
天ぷらやうな重といったコッテリ系の料理を
わしわし口に運んでいくのだ。
その間もあのマシンガントークは止まらない。

元気だから食欲があるのか、よく食べるから元気なのか。
思えば高知にいる僕のじいさんも、
80をとっくの昔に過ぎたはずなのに、
焼肉やステーキをしっかり一人前たいらげる。
それでも昔と比べれば体も細くなり、
憎まれ口もあんまり叩かなくなったけど、
食事している姿を見るとまだまだ長生きしそうだ。

そのじいさんに振り回されながら生きてきた
おばあちゃんは先に逝ってしまった。食も細かった。

場面は最初に戻り、黒柳徹子の食欲に
高齢化社会の戦慄を感じている僕。
そして、その隣にいる嫁。
彼女の食欲もまた目を見張るものがあり、まあよく食べる。
一食の量が僕と同じということもザラだ。
体はどちらかというと小さい方だし、
体格もやせている部類に入る。
あれだけ食べたものはどこにいったのか、と不思議になる。

黒柳徹子を見ていた彼女の感想を聞いてみると、
どうやら長生きへの意欲(=食への意欲)を
さらに燃やしていたようだ。一瞬、背中に冷たいものが走った。

僕が「嫁を食わせる」という意図の発言をする時、
その裏にどのくらいの覚悟が潜んでいるかを、
このエピソードから慮ってもらいたい。

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