禁酒しようかな〜と思う。
正確には自宅での晩酌をやめる。
もっと正確には、平日だけ。
休日の前は飲む。
…どんどん甘くなってるけど。
お酒を飲まないと、寝付きと目覚めがいい。
睡眠の質が上がるんだろう。
同じ時間眠ってもスッキリ度合いが違う。
一日24時間というのは、
誰にとっても平等で
どうがんばっても増やすことはできない。
であれば、時間の使い方を見なおすしかない。
とにかく睡眠時間を削るという方法もあるだろうけど、
それは、睡魔に襲われたり、集中力が落ちたりと、
起きている時間にまで影響があるので、
あまりいいと思えない。
(事実、体を壊したこともあるし)
飲酒をあきらめることで、
睡眠の質を高められれば、
睡眠時間を無理なく減らせる。
そうすれば、起きている時間が増えて、
一日にできることの量が増える。
企みを形にするまでの時間を
スピードアップできる。
まだまだ実現を順番待ちしている企みが
たくさんあるのだ。
禁酒を思いついたのは、
「健康を気にして」とかではなくて、
大好きなお酒を我慢してでも、
やりたいことが多くなってきたから。
毎日がおもしろくて仕方がない。
2012年2月6日月曜日
2012年1月16日月曜日
評論家になるな。アイデアマンになるな。
30歳になりました。
たくさんの方におめでとうメッセージをいただき
うれしかったです。ありがとうございます。
まあ、30代になったからと言って何も変わりません。
それどころか、やっと背伸びをせず
自然体で生きていけると、
楽になった気持ちさえしています。
そんな晴れやかな心模様の自分から、
20歳の頃へメッセージを送るとしたら、
それは「評論家になるな。アイデアマンになるな」かな。
まず評論家。これは「なっちゃいけない」というのは
ガッテン承知の助なのですが、
気を抜くとすぐ顔を出す厄介なヤツです。
自分の得意な分野からそうでない分野まで、
せまい経験談や聞きかじった知識で、
良い・悪いとすぐに仕分けしたくなってしまう。
物事に自分なりの意見を持つのは悪いことではないけど、
自分で汗をかいたわけでもない出来事に、
口を挟みすぎるのは危険。
評論することで汗を流すこともできちゃうからね。
そこで満足感や達成感を得ても、
またすぐに乾いちゃって、次の評論の対象を探してしまう。
そんなことしてられるほど、人生は長くない…と思います。
続いてはアイデアマン。
これは逆に「なぜいけないの?」と思うでしょう。
理由は一緒で、やっぱり汗をかかなきゃ意味がないと思うから。
実のところ、アイデアを出すのは割とカンタンです。
それにアイデアの段階では、
それが良いのか悪いのかは判断しにくい。
もちろん、全然ダメなものはわかりますけどね。
そして何より、アイデアは実現することのほうが
何十倍も何百倍も難しい。
実現するのに必要なステップを一つひとつ重ねていくためにも、
また小さなアイデアが必要となってくるし、
それを全部揃えることのほうが、
最初の第一歩のアイデアを考えるよりも大変です。
実現できないアイデアは、
「なかった」と思われても文句言えないんですよね。
厳しいですが、それが20代の10年間で思い知った現実でした。
だけど、すぐには実現しなくても
時間がたってから実現するアイデアもある。
それを20代最後の一年で体験できたのもすごく良かった。
20歳の僕よ。もう一度、この言葉を贈ろう。
評論家になるな。アイデアマンになるな。
たくさんの方におめでとうメッセージをいただき
うれしかったです。ありがとうございます。
まあ、30代になったからと言って何も変わりません。
それどころか、やっと背伸びをせず
自然体で生きていけると、
楽になった気持ちさえしています。
そんな晴れやかな心模様の自分から、
20歳の頃へメッセージを送るとしたら、
それは「評論家になるな。アイデアマンになるな」かな。
まず評論家。これは「なっちゃいけない」というのは
ガッテン承知の助なのですが、
気を抜くとすぐ顔を出す厄介なヤツです。
自分の得意な分野からそうでない分野まで、
せまい経験談や聞きかじった知識で、
良い・悪いとすぐに仕分けしたくなってしまう。
物事に自分なりの意見を持つのは悪いことではないけど、
自分で汗をかいたわけでもない出来事に、
口を挟みすぎるのは危険。
評論することで汗を流すこともできちゃうからね。
そこで満足感や達成感を得ても、
またすぐに乾いちゃって、次の評論の対象を探してしまう。
そんなことしてられるほど、人生は長くない…と思います。
続いてはアイデアマン。
これは逆に「なぜいけないの?」と思うでしょう。
理由は一緒で、やっぱり汗をかかなきゃ意味がないと思うから。
実のところ、アイデアを出すのは割とカンタンです。
それにアイデアの段階では、
それが良いのか悪いのかは判断しにくい。
もちろん、全然ダメなものはわかりますけどね。
そして何より、アイデアは実現することのほうが
何十倍も何百倍も難しい。
実現するのに必要なステップを一つひとつ重ねていくためにも、
また小さなアイデアが必要となってくるし、
それを全部揃えることのほうが、
最初の第一歩のアイデアを考えるよりも大変です。
実現できないアイデアは、
「なかった」と思われても文句言えないんですよね。
厳しいですが、それが20代の10年間で思い知った現実でした。
だけど、すぐには実現しなくても
時間がたってから実現するアイデアもある。
それを20代最後の一年で体験できたのもすごく良かった。
20歳の僕よ。もう一度、この言葉を贈ろう。
評論家になるな。アイデアマンになるな。
2012年1月10日火曜日
お客さんのプロになりたい。
あけましておめでとうございます。
本年もマイペースでいきますが、
よろしくお願いします。
(ご挨拶おそくなってすみません)
------
友人が、落語の一門会に出かけたそうです。
ある駆け出し落語家の晴れ舞台を見るためでした。
高座には芸歴の浅い者から登場するため、
その若手落語家はトップバッターを務めます。
演目は古典の「千早振る」。
友人が見ていたところ、
その落語家さんは明らかに緊張した様子で、
以前に見た時よりも早口になっていました。
そういった緊張は聞いている側にも伝わるものなので、
友人は落語を聞いて笑うというより、
心で応援の言葉をささやくような、
そんな気持ちになって見ていたそうです。
友人が感心したのは、客席の反応でした。
お客さんの中には落語をよく知っている方も多く、
「千早振る」がどんな内容かは十二分にわかっています。
もちろん、どこが笑う箇所なのかということも。
そして、お客さんたちは笑う箇所が来たら、
揃って笑うんだそうです。
落語をあまり知らない友人からは
早口でよく聞き取れない箇所もあったりするのですが、
客席からはきちんと笑い声が起きます。
すると、笑い声を聞いた舞台上の落語家さんからは、
徐々に緊張の色が薄れていきます。
次第にいつもの調子を取り戻していったのだそうです。
舞台上の人間だけが演目を創り上げるのではなく、
客席も含めたその場にいる人達全員で、
空間を盛り上げていく。
いわゆるインタラクティブです。
「俺は客だから、さあ笑わせろ」
という人がいたら、成立しない空間です。
中にはいるのかもしれませんが、
そんな人をいないように思わせてくれるだけの
懐の深さにあふれているように思います。
これって、いくらでも応用できるんですよね。
僕は散髪に行ったら、
シャンプーしてくれる人に
かならず「気持ちいいですわ〜」と言います。
心の底からそう思っているのですが、
思っているだけでは伝わらないので、
かならず言葉に出して伝えます。
シャンプーを担当するのは
新人さんの場合が多いので、
あまり褒められ慣れていないのでしょう。
何気ない一言にもすごく喜んでくれます。
きっとその後のマッサージも
念入りにやってくれているはずです。
何というのでしょうか、
「サービスする側」と「サービスされる側」のステキな関係?
お互いを尊重し合うことが、
お互いの力を最大限に引き出すことにつながり、
結局それはお互いにとっての“得”になるはずなんですよね。
「お客様は神様」なんて、お店側が言うことであって、
お客さん側からは間違っても言ってはならない。
そんな人はお客さんのアマチュアだなあ、と思うわけです。
本年もマイペースでいきますが、
よろしくお願いします。
(ご挨拶おそくなってすみません)
------
友人が、落語の一門会に出かけたそうです。
ある駆け出し落語家の晴れ舞台を見るためでした。
高座には芸歴の浅い者から登場するため、
その若手落語家はトップバッターを務めます。
演目は古典の「千早振る」。
友人が見ていたところ、
その落語家さんは明らかに緊張した様子で、
以前に見た時よりも早口になっていました。
そういった緊張は聞いている側にも伝わるものなので、
友人は落語を聞いて笑うというより、
心で応援の言葉をささやくような、
そんな気持ちになって見ていたそうです。
友人が感心したのは、客席の反応でした。
お客さんの中には落語をよく知っている方も多く、
「千早振る」がどんな内容かは十二分にわかっています。
もちろん、どこが笑う箇所なのかということも。
そして、お客さんたちは笑う箇所が来たら、
揃って笑うんだそうです。
落語をあまり知らない友人からは
早口でよく聞き取れない箇所もあったりするのですが、
客席からはきちんと笑い声が起きます。
すると、笑い声を聞いた舞台上の落語家さんからは、
徐々に緊張の色が薄れていきます。
次第にいつもの調子を取り戻していったのだそうです。
舞台上の人間だけが演目を創り上げるのではなく、
客席も含めたその場にいる人達全員で、
空間を盛り上げていく。
いわゆるインタラクティブです。
「俺は客だから、さあ笑わせろ」
という人がいたら、成立しない空間です。
中にはいるのかもしれませんが、
そんな人をいないように思わせてくれるだけの
懐の深さにあふれているように思います。
これって、いくらでも応用できるんですよね。
僕は散髪に行ったら、
シャンプーしてくれる人に
かならず「気持ちいいですわ〜」と言います。
心の底からそう思っているのですが、
思っているだけでは伝わらないので、
かならず言葉に出して伝えます。
シャンプーを担当するのは
新人さんの場合が多いので、
あまり褒められ慣れていないのでしょう。
何気ない一言にもすごく喜んでくれます。
きっとその後のマッサージも
念入りにやってくれているはずです。
何というのでしょうか、
「サービスする側」と「サービスされる側」のステキな関係?
お互いを尊重し合うことが、
お互いの力を最大限に引き出すことにつながり、
結局それはお互いにとっての“得”になるはずなんですよね。
「お客様は神様」なんて、お店側が言うことであって、
お客さん側からは間違っても言ってはならない。
そんな人はお客さんのアマチュアだなあ、と思うわけです。
2011年12月27日火曜日
修行グセにご注意を
若い頃は「とにかく何でも経験だ」と
言われます。それはほんとにその通り。
大変な事や気の進まない事も
率先して取り組み、
上司や先輩の言うことに従う。
そして、そこからひとつでも多くを盗み、
自分の成長の糧としていく。
いわば修業期間。
そして、修行に終わりはありません。
すべてを師とできる人は強い。
そういう人は成長が止まらない。
自分もそのようにありたい、と
常日頃から思ったりします。
もはや決めゼリフのようになってきましたが、
このことにまったく異論はありません。
だけど「修行グセ」というものには
やっぱり気をつけた方がいいと思うのです。
30代に差し掛かる僕の歳だからこそ
思うのかもしれないですが、
「偉大なる先輩たち」を
何らかのタイミングで
「ライバル」と変換しなくては、
いつまでも同じ土俵に立てないような気がします。
いつもふたつの目を持ちながら、
片方では、先輩として尊敬と勉強の姿勢を絶やさず、
もう一方では、密かなライバルとして虎視眈々と逆転をねらう。
ガツガツしても疲れるので、
ナチュラルにそんな姿勢で生きられたらと、
ふと思うのでございました。
言われます。それはほんとにその通り。
大変な事や気の進まない事も
率先して取り組み、
上司や先輩の言うことに従う。
そして、そこからひとつでも多くを盗み、
自分の成長の糧としていく。
いわば修業期間。
そして、修行に終わりはありません。
すべてを師とできる人は強い。
そういう人は成長が止まらない。
自分もそのようにありたい、と
常日頃から思ったりします。
もはや決めゼリフのようになってきましたが、
このことにまったく異論はありません。
だけど「修行グセ」というものには
やっぱり気をつけた方がいいと思うのです。
30代に差し掛かる僕の歳だからこそ
思うのかもしれないですが、
「偉大なる先輩たち」を
何らかのタイミングで
「ライバル」と変換しなくては、
いつまでも同じ土俵に立てないような気がします。
いつもふたつの目を持ちながら、
片方では、先輩として尊敬と勉強の姿勢を絶やさず、
もう一方では、密かなライバルとして虎視眈々と逆転をねらう。
ガツガツしても疲れるので、
ナチュラルにそんな姿勢で生きられたらと、
ふと思うのでございました。
2011年12月17日土曜日
経験則ブギ
「それはそうなんだけど、
それだけじゃないんじゃないか?」
と思ったりする事があります。
素直さを欠く視点ですから、
下手すると唯我独尊にもなりかねないので、
使いすぎないようにしなきゃいけないですけどね。
はい、それはわかった上で、
やっぱり思うところがあるので、
書いてみます。
年輩の方は経験則に基づいて、
アドバイスをくれます。
それはもう、肯定とか否定とか、
そんなレベルじゃなく受け止めるべき事です。
ですが、経験則を信じすぎるのも
それはそれで危険な事です。
ましてや、時代は年々変化のスピードを速め、
さらに進んでいく方向だって、
一直線に上昇していく事はなく、
ひたすら蛇行しているような状態ですから、
経験則が急速に古びてしまうこともあるわけです。
経験則に基づいたアドバイスというのは
後から来る者が、前を行く者と
同じ道を歩いているという事が前提となります。
同じ道を歩いているからこそ、
「あそこでは熊が出るから気をつけろ」
「しばらくオアシスがないから水は極力我慢しろ」
といったアドバイスができるわけです。
そのため経験則からのアドバイスというのは、
「同じ道を歩いている」という確信があれば、
すべて素直に聞けばいいと思うのですが、
そこにもし疑問があるようであれば、
やはり受け取る側も自分なりに
解釈をしなおす必要があると思うのです。
もちろん「同じ道を歩いている」というのは、
イコール「同じ幸せをめざしている」ということ。
何度も言いますが、
経験則を否定しているわけではありません。
受け取る側も自己責任のもとに
経験則を活用しないといけないよなあ、
ということです。
それだけじゃないんじゃないか?」
と思ったりする事があります。
素直さを欠く視点ですから、
下手すると唯我独尊にもなりかねないので、
使いすぎないようにしなきゃいけないですけどね。
はい、それはわかった上で、
やっぱり思うところがあるので、
書いてみます。
年輩の方は経験則に基づいて、
アドバイスをくれます。
それはもう、肯定とか否定とか、
そんなレベルじゃなく受け止めるべき事です。
ですが、経験則を信じすぎるのも
それはそれで危険な事です。
ましてや、時代は年々変化のスピードを速め、
さらに進んでいく方向だって、
一直線に上昇していく事はなく、
ひたすら蛇行しているような状態ですから、
経験則が急速に古びてしまうこともあるわけです。
経験則に基づいたアドバイスというのは
後から来る者が、前を行く者と
同じ道を歩いているという事が前提となります。
同じ道を歩いているからこそ、
「あそこでは熊が出るから気をつけろ」
「しばらくオアシスがないから水は極力我慢しろ」
といったアドバイスができるわけです。
そのため経験則からのアドバイスというのは、
「同じ道を歩いている」という確信があれば、
すべて素直に聞けばいいと思うのですが、
そこにもし疑問があるようであれば、
やはり受け取る側も自分なりに
解釈をしなおす必要があると思うのです。
もちろん「同じ道を歩いている」というのは、
イコール「同じ幸せをめざしている」ということ。
何度も言いますが、
経験則を否定しているわけではありません。
受け取る側も自己責任のもとに
経験則を活用しないといけないよなあ、
ということです。
2011年12月9日金曜日
正しい伸ばし方
「ほめて伸ばす」と
「叩いて伸ばす」という
言い方があるけど、
この「叩いて伸ばす」っていうのは、
本当にいい方法なのか?と
疑っている今日この頃。
メカニズムを整理していくと
こういうことなんだと思います。
◯「叩いて伸ばす」のメカニズム
叩かれる(=否定される)→悔しい→努力する→伸びる
◯「ほめて伸ばす」のメカニズム
ほめられる→うれしい→またがんばる→伸びる
「叩いて伸ばす」のメカニズムも
まあ、わかる気はするし、
実際それで伸びた人も見たことあります。
伸ばす人としてではなく、伸びた人でもなく、
第三者として。
ただ、当然のこととして
「悔しい」から「努力する」へのステップで
脱落する人も出てきます。
この人は「叩かれて伸びなかった人」となるわけです。
一方で「ほめて伸ばす」の場合、
「うれしい」から「またがんばる」へのステップで
がんばれない人が出てくる、という意見があったりします。
「うれしい」で満足して止まってしまうと言うのです。
「叩いて伸ばす」が好きな人は、
この点を主張します。
でも、ほんとに「うれしい」で
満足して止まるのか?と思うわけです。
よっぽどの怠け者じゃない限り、
ほめられるとがんばっちゃいますよ。
だって、もっとほめられたいし、
みんな、自分をほめてくれる人は
好きですからね。
その人の期待にもっと応えたいと
考えるのが、素直な反応だと思います。
それに、もっと単純な比較として、
悔しくて力を出せる確率と、
うれしくて力を出せる確率って
どちらが高いんでしょうか?
こんなシンプルな確率論は
頭じゃなくて心で考えれば、
すぐに答えが出ると思うんですけどね。
「人類みな、ほめられて伸びる子」
甘っちょろいと言われるかもしれませんが、
これが僕の中での答えです。
「叩いて伸ばす」という
言い方があるけど、
この「叩いて伸ばす」っていうのは、
本当にいい方法なのか?と
疑っている今日この頃。
メカニズムを整理していくと
こういうことなんだと思います。
◯「叩いて伸ばす」のメカニズム
叩かれる(=否定される)→悔しい→努力する→伸びる
◯「ほめて伸ばす」のメカニズム
ほめられる→うれしい→またがんばる→伸びる
「叩いて伸ばす」のメカニズムも
まあ、わかる気はするし、
実際それで伸びた人も見たことあります。
伸ばす人としてではなく、伸びた人でもなく、
第三者として。
ただ、当然のこととして
「悔しい」から「努力する」へのステップで
脱落する人も出てきます。
この人は「叩かれて伸びなかった人」となるわけです。
一方で「ほめて伸ばす」の場合、
「うれしい」から「またがんばる」へのステップで
がんばれない人が出てくる、という意見があったりします。
「うれしい」で満足して止まってしまうと言うのです。
「叩いて伸ばす」が好きな人は、
この点を主張します。
でも、ほんとに「うれしい」で
満足して止まるのか?と思うわけです。
よっぽどの怠け者じゃない限り、
ほめられるとがんばっちゃいますよ。
だって、もっとほめられたいし、
みんな、自分をほめてくれる人は
好きですからね。
その人の期待にもっと応えたいと
考えるのが、素直な反応だと思います。
それに、もっと単純な比較として、
悔しくて力を出せる確率と、
うれしくて力を出せる確率って
どちらが高いんでしょうか?
こんなシンプルな確率論は
頭じゃなくて心で考えれば、
すぐに答えが出ると思うんですけどね。
「人類みな、ほめられて伸びる子」
甘っちょろいと言われるかもしれませんが、
これが僕の中での答えです。
2011年12月7日水曜日
感情が伝わっていく時代
ふと思い出した「IT革命」という言葉。
久しぶりに聞いた気がしませんか?
そしてもうすでに、
古くさく感じませんか?
Webの普及は
テレビなどの古いメディアを
王座から引きずり下ろしました。
玉ねぎの皮を剥いていくように
旧メディアの価値を無力化していき、
芯の部分にあった「情報」だけが
最終的にその場に残っていて、
とどのつまりは
「情報」そのものに
価値をあたえる結果となったのです。
そして、さらに時間は前に進み、
ソーシャルメディアが登場。
情報の発信・受信がより
リアルタイムになったことはもちろんですが、
それよりも感じるのが、
自分を360度から見られている感覚です。
毎日の食事を写真とともにアップする人。
「食べる」ということを
大事にしていることが伝わってきます。
これを「情報」という切り口だけで見てしまうと、
その人が何を食べているかを
知るだけのツールになってしまう。
だけど、伝わることはそれだけじゃないはずです。
食事を心の底から楽しんでいることや、
普段は入らないお店への好奇心旺盛な様子なども
そこにはあふれているはず。
伝わることの総量で見ていくと、
きっと「情報」の量よりも、
「感情」の量のほうが多いのではないでしょうか。
それは、直線的なベクトルで「伝えるもの」というよりも、
放射線的ににじみ出ていく「伝わってしまうもの」と
捉えた方がいいかもしれない。
自分を360度から見られている感覚というのは、
そういう意味ですが、
これは決してネガティブな意味ではなくて、
自分を360度から「見せることができる」と
言い換えられると思います。
まあ、そんなこんなで、
今後セルフブランディングという言葉が、
日常用語になっていくのでしょうが、
情報勝者ならぬ「感情勝者」というものが
出てきてもおかしくないような、そんな予感がします。
つまりは先日の「楽しそうな人最強説」に
つながるんですけどね。
あー、楽しい(ヘタクソ)。
久しぶりに聞いた気がしませんか?
そしてもうすでに、
古くさく感じませんか?
Webの普及は
テレビなどの古いメディアを
王座から引きずり下ろしました。
玉ねぎの皮を剥いていくように
旧メディアの価値を無力化していき、
芯の部分にあった「情報」だけが
最終的にその場に残っていて、
とどのつまりは
「情報」そのものに
価値をあたえる結果となったのです。
そして、さらに時間は前に進み、
ソーシャルメディアが登場。
情報の発信・受信がより
リアルタイムになったことはもちろんですが、
それよりも感じるのが、
自分を360度から見られている感覚です。
毎日の食事を写真とともにアップする人。
「食べる」ということを
大事にしていることが伝わってきます。
これを「情報」という切り口だけで見てしまうと、
その人が何を食べているかを
知るだけのツールになってしまう。
だけど、伝わることはそれだけじゃないはずです。
食事を心の底から楽しんでいることや、
普段は入らないお店への好奇心旺盛な様子なども
そこにはあふれているはず。
伝わることの総量で見ていくと、
きっと「情報」の量よりも、
「感情」の量のほうが多いのではないでしょうか。
それは、直線的なベクトルで「伝えるもの」というよりも、
放射線的ににじみ出ていく「伝わってしまうもの」と
捉えた方がいいかもしれない。
自分を360度から見られている感覚というのは、
そういう意味ですが、
これは決してネガティブな意味ではなくて、
自分を360度から「見せることができる」と
言い換えられると思います。
まあ、そんなこんなで、
今後セルフブランディングという言葉が、
日常用語になっていくのでしょうが、
情報勝者ならぬ「感情勝者」というものが
出てきてもおかしくないような、そんな予感がします。
つまりは先日の「楽しそうな人最強説」に
つながるんですけどね。
あー、楽しい(ヘタクソ)。
2011年12月3日土曜日
楽しそうな人最強説
最近わかってきたことは、
「楽しんでる人は強い」ってこと。
楽しそうというだけで何だか魅力的だし、
結局そういう人のところに
人も仕事も集まるように思います。
逆のこともまた当然のように起こるわけです。
つまらなさそうな人、
不満っぽい人、愚痴っぽい人とは、
距離を置きたくなるのが人情というもの。
前者と後者で何が違うのか。
楽しそうな人はラッキーなことばかり起こっているのか。
つまらなさそうな人は不幸のループに陥っているのか。
それはそうなんだけど、
実はそうじゃないんじゃないでしょうか。
楽しそうな人だって残念な出来事はあるだろうし、
つまらなさそうな人だって
幸せのかけらは降ってきているはず。
もっと言えば、現象そのものには
「楽しい」とか「つまらない」とか
そんなもの決まってなくて、
それを受け取った人が、
どう感じるかを決めているだけだと思うのです。
楽しいことが起こるから
楽しいのではなくて、
何でも楽しんでいるから
楽しく生きられる。
つまらないことが起こるから
つまらないのではなくて、
何でもつまらなく感じているから
つまらなく生きてしまう。
…と、ここで結論づける気はありません。
こんなこと、あやしい宗教ですら言っている。
だけど、人間そんなに器用に生きられるわけがない。
それはよくわかってるので、ここでまた提案です。
「楽しい」と思ったことは積極的に
たくさんの人に振りまく。
「つまらない」「不満」「愚痴」の類いは、
極力自分の中に留めておく。
もしくは、ひとつの「つまらない」につき、
一人にしか伝えない。
これ、そんなに難しくない上に、効果絶大です。
昔見た大阪のローカル番組で
「おばあちゃんに好きな食べ物を尋ねると、
“なんでも食べるよ”と答える」という法則を
検証したものがありました。
結果は本当にその通り。
人生の達人たちは、
どんなものもおいしくいただいてしまうのです。
嗚呼、リスペクト。
「楽しんでる人は強い」ってこと。
楽しそうというだけで何だか魅力的だし、
結局そういう人のところに
人も仕事も集まるように思います。
逆のこともまた当然のように起こるわけです。
つまらなさそうな人、
不満っぽい人、愚痴っぽい人とは、
距離を置きたくなるのが人情というもの。
前者と後者で何が違うのか。
楽しそうな人はラッキーなことばかり起こっているのか。
つまらなさそうな人は不幸のループに陥っているのか。
それはそうなんだけど、
実はそうじゃないんじゃないでしょうか。
楽しそうな人だって残念な出来事はあるだろうし、
つまらなさそうな人だって
幸せのかけらは降ってきているはず。
もっと言えば、現象そのものには
「楽しい」とか「つまらない」とか
そんなもの決まってなくて、
それを受け取った人が、
どう感じるかを決めているだけだと思うのです。
楽しいことが起こるから
楽しいのではなくて、
何でも楽しんでいるから
楽しく生きられる。
つまらないことが起こるから
つまらないのではなくて、
何でもつまらなく感じているから
つまらなく生きてしまう。
…と、ここで結論づける気はありません。
こんなこと、あやしい宗教ですら言っている。
だけど、人間そんなに器用に生きられるわけがない。
それはよくわかってるので、ここでまた提案です。
「楽しい」と思ったことは積極的に
たくさんの人に振りまく。
「つまらない」「不満」「愚痴」の類いは、
極力自分の中に留めておく。
もしくは、ひとつの「つまらない」につき、
一人にしか伝えない。
これ、そんなに難しくない上に、効果絶大です。
昔見た大阪のローカル番組で
「おばあちゃんに好きな食べ物を尋ねると、
“なんでも食べるよ”と答える」という法則を
検証したものがありました。
結果は本当にその通り。
人生の達人たちは、
どんなものもおいしくいただいてしまうのです。
嗚呼、リスペクト。
2011年12月1日木曜日
ほうれん草
社会人の初心者が
先輩たちからよく言われる言葉に
「ホウレンソウ」というものがあります。
「報告・連絡・相談」の略で、
情報共有することで当事者を増やすことができたり、
うまくいっていないことを
未然に周りに知らせることができたりと、
仕事のリスクを最小限にしていくために、
とても大事なことです。
仕事がスムーズにいっていない時は
よくよく見直すと、大体の場合で、
この「ホウレンソウ」が
おろそかになっていたりします。
それくらい、仕事人にとって
初歩中の初歩であり、欠かせない基礎能力です。
それはもちろんそうなのですが、
一方で「ホウレンソウ完遂型人間」と
なってしまう人もいます。
これはつまり「ホウレンソウ」をした時点で、
自分で考えたり判断することを
ストップしてしまう人のこと。
「先方が○○とおっしゃっているのですが、どうしましょう?」
「あの案件××という状態なんですが、どうしたらいいですか?」
つまり、相手に判断をすべて委ねているんです。
こういう姿勢になってしまうと、
ホウレンソウを達成した時点で
「私の仕事は終了です」となってしまう。
そこから先は、上司なのか先輩なのか、
ホウレンソウをした相手の判断がすべてとなってしまいます。
悪くいうと、丸投げ。
このスタンスを続けていると
いつまでも「お伺いを立てる」立場でいてしまうし、
仕事をまかせる側からしても、
最終的に頭を使う仕事をしなくてはならないので、
手離れが悪くなってしまう。つまり、まかせる意味が目減りする。
お互いによくないわけです。
ここで提案なのですが、ホウレンソウをする時は、
「僕はこうしたいんですが、構わないでしょうか?」
と、Yes/Noで答えられるように
投げかけるというのはどうでしょう。
聞く側からすれば、自分の判断を中心にしながら
仕事を進められるので、上司や先輩を交えても
仕事の主人公のままでいられる。
聞かれる側からしても、
とりあえずYes/Noの判断をすればいいので、
かけるパワーと時間が少なくて済む。
また、まかせた側の人間が
どれだけ現状をコントロールしながら
仕事を進めているのかが把握できるので、
安心感も持てる。
どちらにとっても嬉しい状態と
なるんじゃないでしょうかね〜。
さて、これを「ホウレンソウ」ではなく
判断・共有・ラン○○と言い換えて
「ハンキョウラン」という新語を生み出そうとしたのですが、
ランで始まる単語が浮かばなかった上に、
ビジネスの現場で「ハンキョウラン」という言葉が
飛び交うのもいかがなものかと思うので、
謹んで辞退したいと思います。あしからず。
先輩たちからよく言われる言葉に
「ホウレンソウ」というものがあります。
「報告・連絡・相談」の略で、
情報共有することで当事者を増やすことができたり、
うまくいっていないことを
未然に周りに知らせることができたりと、
仕事のリスクを最小限にしていくために、
とても大事なことです。
仕事がスムーズにいっていない時は
よくよく見直すと、大体の場合で、
この「ホウレンソウ」が
おろそかになっていたりします。
それくらい、仕事人にとって
初歩中の初歩であり、欠かせない基礎能力です。
それはもちろんそうなのですが、
一方で「ホウレンソウ完遂型人間」と
なってしまう人もいます。
これはつまり「ホウレンソウ」をした時点で、
自分で考えたり判断することを
ストップしてしまう人のこと。
「先方が○○とおっしゃっているのですが、どうしましょう?」
「あの案件××という状態なんですが、どうしたらいいですか?」
つまり、相手に判断をすべて委ねているんです。
こういう姿勢になってしまうと、
ホウレンソウを達成した時点で
「私の仕事は終了です」となってしまう。
そこから先は、上司なのか先輩なのか、
ホウレンソウをした相手の判断がすべてとなってしまいます。
悪くいうと、丸投げ。
このスタンスを続けていると
いつまでも「お伺いを立てる」立場でいてしまうし、
仕事をまかせる側からしても、
最終的に頭を使う仕事をしなくてはならないので、
手離れが悪くなってしまう。つまり、まかせる意味が目減りする。
お互いによくないわけです。
ここで提案なのですが、ホウレンソウをする時は、
「僕はこうしたいんですが、構わないでしょうか?」
と、Yes/Noで答えられるように
投げかけるというのはどうでしょう。
聞く側からすれば、自分の判断を中心にしながら
仕事を進められるので、上司や先輩を交えても
仕事の主人公のままでいられる。
聞かれる側からしても、
とりあえずYes/Noの判断をすればいいので、
かけるパワーと時間が少なくて済む。
また、まかせた側の人間が
どれだけ現状をコントロールしながら
仕事を進めているのかが把握できるので、
安心感も持てる。
どちらにとっても嬉しい状態と
なるんじゃないでしょうかね〜。
さて、これを「ホウレンソウ」ではなく
判断・共有・ラン○○と言い換えて
「ハンキョウラン」という新語を生み出そうとしたのですが、
ランで始まる単語が浮かばなかった上に、
ビジネスの現場で「ハンキョウラン」という言葉が
飛び交うのもいかがなものかと思うので、
謹んで辞退したいと思います。あしからず。
2011年11月30日水曜日
Not Yesterday
人が作るもののほとんどは、
役割をあたえられて生まれてきます。
いや、ほとんどじゃなくて、
すべてと言っていいかもしれない。
たとえば、朝の貴重な時間を
なんとかやりくりして作った「おにぎり」。
お昼のために会社に持って行く
この「おにぎり」には、
いくつかの役割があたえられます。
「お腹を満たす」「昼食代を節約する」
「昼食の時間を節約する」
「まとめて炊いたごはんを有効活用する」
…ちょっと考えただけでも、
これだけ色々な役割があるわけです。
ちょっと事務的とか、無機質とか、
そんな言い方になってしまうけど、
この役割をきちんと果たすことを
「機能する」という言い方で表現する。
この「おにぎり」は
お昼に僕のお腹に収まることで、
さっきの役割を果たすことになります。
「おにぎり」として機能したということです。
ところが、世の中を見回すと、
機能していないものがたくさんあったりします。
機能しない商品、機能しない店員さん、
機能しないテレビ番組、機能しない広告、
機能しない政治、機能しない言葉…。
この機能しないものを
どうやって機能するものに変えていくか。
これが結構大事なテーマだし、
僕自身、今後取り組んでいきたいことだったりします。
意外と「変える」ではなくて「換える」で
解決できるケースが多かったりして。
機能していないくせに、
機能している顔をしているアレコレ達よ、
覚悟しなさいよ!ってなもんです。
役割をあたえられて生まれてきます。
いや、ほとんどじゃなくて、
すべてと言っていいかもしれない。
たとえば、朝の貴重な時間を
なんとかやりくりして作った「おにぎり」。
お昼のために会社に持って行く
この「おにぎり」には、
いくつかの役割があたえられます。
「お腹を満たす」「昼食代を節約する」
「昼食の時間を節約する」
「まとめて炊いたごはんを有効活用する」
…ちょっと考えただけでも、
これだけ色々な役割があるわけです。
ちょっと事務的とか、無機質とか、
そんな言い方になってしまうけど、
この役割をきちんと果たすことを
「機能する」という言い方で表現する。
この「おにぎり」は
お昼に僕のお腹に収まることで、
さっきの役割を果たすことになります。
「おにぎり」として機能したということです。
ところが、世の中を見回すと、
機能していないものがたくさんあったりします。
機能しない商品、機能しない店員さん、
機能しないテレビ番組、機能しない広告、
機能しない政治、機能しない言葉…。
この機能しないものを
どうやって機能するものに変えていくか。
これが結構大事なテーマだし、
僕自身、今後取り組んでいきたいことだったりします。
意外と「変える」ではなくて「換える」で
解決できるケースが多かったりして。
機能していないくせに、
機能している顔をしているアレコレ達よ、
覚悟しなさいよ!ってなもんです。
2011年11月17日木曜日
デジタルネイティブ論
デジタルネイティブは恐るるに足らん。
このことは、ちょっと自信を持って主張したい。
物心ついた頃から身の周りにインターネットや
パソコンがあり、その頃からITに触れてきた世代を
デジタルネイティブと呼ぶという。
まだ小学校に入る前の知り合いの子供は、
テレビの画面を指先でスライドさせようとするらしい。
ディスプレイはすべてタッチパネルだと
認識しているのだ。
もうちょっと年齢が進むと、
パソコンを使いこなすのは当たり前で、
授業のノートをEvernoteに保存したり、
友達とのおしゃべりもSkypeを活用するそうだ。
本当の話かどうかはわからないが、
そんな現実があっても不思議じゃなさそうだ。
じゃあ、そんな彼らがお金を持って購買層になったり
社会人になって一緒に働くようになったら
驚異的な存在になるか、と言ったら、
そうでもないような気がする。
ITの登場や進化にワクワクやハラハラしてきた人々の方が
生まれた時から当たり前に触れてきた人々よりも
それを使って何かしてやろうという気持ちが
強いのではないだろうか。
いや、きっと強い。
でも、デジタルネイティブの中にもきっと
そんな気持ちの強い人は確実にいて、
結論としては、世代だけで区切って
乱暴にタイプ分けしてみても、
あんまり意味ないんじゃない?ということだ。
このことは、ちょっと自信を持って主張したい。
物心ついた頃から身の周りにインターネットや
パソコンがあり、その頃からITに触れてきた世代を
デジタルネイティブと呼ぶという。
まだ小学校に入る前の知り合いの子供は、
テレビの画面を指先でスライドさせようとするらしい。
ディスプレイはすべてタッチパネルだと
認識しているのだ。
もうちょっと年齢が進むと、
パソコンを使いこなすのは当たり前で、
授業のノートをEvernoteに保存したり、
友達とのおしゃべりもSkypeを活用するそうだ。
本当の話かどうかはわからないが、
そんな現実があっても不思議じゃなさそうだ。
じゃあ、そんな彼らがお金を持って購買層になったり
社会人になって一緒に働くようになったら
驚異的な存在になるか、と言ったら、
そうでもないような気がする。
ITの登場や進化にワクワクやハラハラしてきた人々の方が
生まれた時から当たり前に触れてきた人々よりも
それを使って何かしてやろうという気持ちが
強いのではないだろうか。
いや、きっと強い。
でも、デジタルネイティブの中にもきっと
そんな気持ちの強い人は確実にいて、
結論としては、世代だけで区切って
乱暴にタイプ分けしてみても、
あんまり意味ないんじゃない?ということだ。
2011年11月12日土曜日
自分を探すな
昔から違和感を感じている言葉がある。
「自分探しの旅」というやつだ。
大体が10代後半~20代前半のあいだに
ある程度まとまった期間を使って、
主に国外を旅をする。
これまで知らなかった
自分の一面を発見するのが目的。
ハードであればあるほど良いとされており(多分)、
行き先はタイやインドなど、日本ほどインフラが
整備されていない国がスタンダード。
お金もあまり持っていかないのがいいみたいだ。
若いうちに外国を旅することに文句はないし、
むしろ見聞を広めるという意味では
得るものも大きいのだろうけど、
「自分探し」っていう言葉がなんかヤダ。
自分というものの本質がどこかにあると仮定して、
それを探しに海外に行くというのは、つまりどういうこと?
日常を置き去りにして飛び込む非日常にこそ自分があるの?
今の自分は本当の自分じゃないとでも言いたいの?
おっと、ストップストップ。
言葉のナイフが止まらなくなる。やめとこう。
自分なんてものは探すほど広くない。
現時点で見えている範囲でほぼ誤差はないのだ。
だから、本当にやらなきゃいけないことは、
その枠をどう超えていくかということ。
不得意な分野やあまり手を出してこなかったものに、
あえて挑戦していき、自分の守備範囲を増やしていく。
それを成長と呼ぶのではないのかい?
大事なのは「自分探し」ではなくて「自分壊し」なのだ。
若者だけじゃなくて。
諸兄、心にデストロイヤーを持とうぜ。
「自分探しの旅」というやつだ。
大体が10代後半~20代前半のあいだに
ある程度まとまった期間を使って、
主に国外を旅をする。
これまで知らなかった
自分の一面を発見するのが目的。
ハードであればあるほど良いとされており(多分)、
行き先はタイやインドなど、日本ほどインフラが
整備されていない国がスタンダード。
お金もあまり持っていかないのがいいみたいだ。
若いうちに外国を旅することに文句はないし、
むしろ見聞を広めるという意味では
得るものも大きいのだろうけど、
「自分探し」っていう言葉がなんかヤダ。
自分というものの本質がどこかにあると仮定して、
それを探しに海外に行くというのは、つまりどういうこと?
日常を置き去りにして飛び込む非日常にこそ自分があるの?
今の自分は本当の自分じゃないとでも言いたいの?
おっと、ストップストップ。
言葉のナイフが止まらなくなる。やめとこう。
自分なんてものは探すほど広くない。
現時点で見えている範囲でほぼ誤差はないのだ。
だから、本当にやらなきゃいけないことは、
その枠をどう超えていくかということ。
不得意な分野やあまり手を出してこなかったものに、
あえて挑戦していき、自分の守備範囲を増やしていく。
それを成長と呼ぶのではないのかい?
大事なのは「自分探し」ではなくて「自分壊し」なのだ。
若者だけじゃなくて。
諸兄、心にデストロイヤーを持とうぜ。
2011年11月5日土曜日
絆
毎年、漢字能力検定協会が発表する「今年の漢字」。
清水寺で坊さんが太い筆で書くアレ。
広くアンケートを集めて決めているらしい。
知らなかった。
テレビを見ていたら、それに倣って
今年を表す漢字一字をアンケートしていた。
何人目かに登場した小学校高学年の女の子が
答えたのは「絆」という字だった。
今年は大きな災害がいくつも起こり、
だからこそ人と人の間にあるつながり、
まさに「絆」を強く意識する年であった。
人間という言葉もそこから来ていると
話に聞いたことがある。
僕が彼女くらいの年齢の時は、
「絆」という漢字なんて書けなかったし、
その言葉すら知らなかったように思う。
大人になった今ですら「絆」というものを
過不足なく言葉で説明することは難しい。
ふわっと感覚で「捉えている」ような気がするもの。
「捉えられている」ような気になっているもの。
そういう意味では「愛」とか「信頼」とかに近いのだろう。
文句なく尊い印象なところも似ている。
恐れ多いように感じて、あんまり気安く使いたくない
言葉であるところも似ている。
少女に「絆」という言葉を深く刻み付けるほど
2011年は教訓と問いかけに満ちた年だったんだろう。
この年をどんな言葉で語り継ぐのか、
決して忘れないためにも、
考えておいた方がいいのかもな、と思った。
清水寺で坊さんが太い筆で書くアレ。
広くアンケートを集めて決めているらしい。
知らなかった。
テレビを見ていたら、それに倣って
今年を表す漢字一字をアンケートしていた。
何人目かに登場した小学校高学年の女の子が
答えたのは「絆」という字だった。
今年は大きな災害がいくつも起こり、
だからこそ人と人の間にあるつながり、
まさに「絆」を強く意識する年であった。
人間という言葉もそこから来ていると
話に聞いたことがある。
僕が彼女くらいの年齢の時は、
「絆」という漢字なんて書けなかったし、
その言葉すら知らなかったように思う。
大人になった今ですら「絆」というものを
過不足なく言葉で説明することは難しい。
ふわっと感覚で「捉えている」ような気がするもの。
「捉えられている」ような気になっているもの。
そういう意味では「愛」とか「信頼」とかに近いのだろう。
文句なく尊い印象なところも似ている。
恐れ多いように感じて、あんまり気安く使いたくない
言葉であるところも似ている。
少女に「絆」という言葉を深く刻み付けるほど
2011年は教訓と問いかけに満ちた年だったんだろう。
この年をどんな言葉で語り継ぐのか、
決して忘れないためにも、
考えておいた方がいいのかもな、と思った。
2011年10月22日土曜日
ナントカワライダケ
おじさんが若者を見て言う。
「自分が君くらいの歳の時は、
もっと馬鹿だった。
今の若者はよく物を知っているし、
立派な考えを持っている」
褒めているのかと思っていたら、
あっという間に憂いにすり替わる。
「だが、小さくまとまってるなあ。
無謀でも何かにチャレンジする気持ちとか、
ガムシャラに何かに熱中するとか、
そういう熱いものはないのかね?」
うーん、ちょっと違うのではないだろうか。
教育というのは、経験則の集大成だと思う。
たとえば、僕らは食べられるキノコを
いくつか知っているけど、
昔の人はそれを知らなかったわけだ。
シイタケは食べられるけど、
ナントカワライダケは食べちゃダメということがわかったのは、
かつてナントカワライダケを食べた人がいたから。
それを食べて当たってしまったり、
死んでしまった先人がいたからなのだ。
先人たちの失敗や尊き犠牲を積み重ねた先に、
僕らの知識は存在している。
だとすれば、昔の若者より今の若者の方が
賢いというのは当然なのではないだろうか。
昔の若者が失敗した、その同じ轍を踏まないように、
彼らはその経験則を次世代に受け継いできたのだろう。
そして、それは着実に根付いている。
教育は成功しているのだから、そのことに胸を張ればいいと思う。
すぐ憂いちゃうのは悪いクセだ。
だけど、教えられないこともきっとある。
つまづかないように気をつけることは教えられるけど、
転んだ時にどうやって起き上がるかは教えられない。
おじさんたちよ、心配しなくても若者は転びます。
そしていつか、自力で起き上がります。
大丈夫。
「自分が君くらいの歳の時は、
もっと馬鹿だった。
今の若者はよく物を知っているし、
立派な考えを持っている」
褒めているのかと思っていたら、
あっという間に憂いにすり替わる。
「だが、小さくまとまってるなあ。
無謀でも何かにチャレンジする気持ちとか、
ガムシャラに何かに熱中するとか、
そういう熱いものはないのかね?」
うーん、ちょっと違うのではないだろうか。
教育というのは、経験則の集大成だと思う。
たとえば、僕らは食べられるキノコを
いくつか知っているけど、
昔の人はそれを知らなかったわけだ。
シイタケは食べられるけど、
ナントカワライダケは食べちゃダメということがわかったのは、
かつてナントカワライダケを食べた人がいたから。
それを食べて当たってしまったり、
死んでしまった先人がいたからなのだ。
先人たちの失敗や尊き犠牲を積み重ねた先に、
僕らの知識は存在している。
だとすれば、昔の若者より今の若者の方が
賢いというのは当然なのではないだろうか。
昔の若者が失敗した、その同じ轍を踏まないように、
彼らはその経験則を次世代に受け継いできたのだろう。
そして、それは着実に根付いている。
教育は成功しているのだから、そのことに胸を張ればいいと思う。
すぐ憂いちゃうのは悪いクセだ。
だけど、教えられないこともきっとある。
つまづかないように気をつけることは教えられるけど、
転んだ時にどうやって起き上がるかは教えられない。
おじさんたちよ、心配しなくても若者は転びます。
そしていつか、自力で起き上がります。
大丈夫。
2011年10月20日木曜日
声にならない叫び
「キャズム」という言葉がある。
マーケティング用語のひとつで、
先駆けとなるユーザーと
一般ユーザーとの間に存在する深い溝のこと。
「谷間」と言ってもいいかもしれない。
新しいテクノロジーが市場を獲得していくにあたって、
この谷間を越えられるかどうかが
ひとつの大きなターニングポイントとなってくる。
ツイッターやスマホは、
ちょうどキャズムを越えたと言えるだろう。
「デスバレー」という言葉がある。
読んで字のごとく「死の谷」のこと。
研究開発や経営の用語として用いられ、
新たに開発された技術が、
新製品や事業化にたどり着くまでに
越えなければならない危機を指す。
資金や人材の確保がその中身であって、
これを越えられずに倒産という
エンディングを迎えてしまうベンチャーも少なくない。
「失われた10年」という言葉がある。
これも言わば経済における「谷間」の時期。
日本では、バブル崩壊後の
1990年代前半〜2000年代前半を指している。
僕らの年代で言えば、小学校高学年〜高校時代と重なり、
物心ついた時からずっと不況だった気がする。
その後も未だ大きな回復は達成できてないので、
「失われた20年」とも呼ばれているそうだ。
かくして人類はあまたの「谷間」に直面しながら、
悩み、挑み、戦い、乗り越えて経済を発展させてきた。
新たな扉の前には、
常に「谷間」が存在しているといってもいいのかもしれない。
「ピンチはチャンス」という言葉にも
そんな示唆を感じてしまう。
ところで、これだけ谷間の話をしてきたが、
女性の胸に話題をすり替えていくつもりは毛頭ない。
「小さすぎず、大きすぎず、C〜Dくらいがちょうどいいよね」
なんてこれっぽっちも頭をよぎっていない。
谷間ってネガティブな意味のものばかりだけど、
胸の谷間だけはすごくすごくポジティブな存在で、
世の中の均衡を保つ救世主だなあ、
なんて僅かたりとも考えていない。
考えていないったら、考えていないんだ。
だけど、なんでだろう。
これだけ谷間谷間と連呼しているのに、
ちっともゲシュタルト崩壊しないのは。
頭の中の谷間の映像が、ずっと肌色なのは。
マーケティング用語のひとつで、
先駆けとなるユーザーと
一般ユーザーとの間に存在する深い溝のこと。
「谷間」と言ってもいいかもしれない。
新しいテクノロジーが市場を獲得していくにあたって、
この谷間を越えられるかどうかが
ひとつの大きなターニングポイントとなってくる。
ツイッターやスマホは、
ちょうどキャズムを越えたと言えるだろう。
「デスバレー」という言葉がある。
読んで字のごとく「死の谷」のこと。
研究開発や経営の用語として用いられ、
新たに開発された技術が、
新製品や事業化にたどり着くまでに
越えなければならない危機を指す。
資金や人材の確保がその中身であって、
これを越えられずに倒産という
エンディングを迎えてしまうベンチャーも少なくない。
「失われた10年」という言葉がある。
これも言わば経済における「谷間」の時期。
日本では、バブル崩壊後の
1990年代前半〜2000年代前半を指している。
僕らの年代で言えば、小学校高学年〜高校時代と重なり、
物心ついた時からずっと不況だった気がする。
その後も未だ大きな回復は達成できてないので、
「失われた20年」とも呼ばれているそうだ。
かくして人類はあまたの「谷間」に直面しながら、
悩み、挑み、戦い、乗り越えて経済を発展させてきた。
新たな扉の前には、
常に「谷間」が存在しているといってもいいのかもしれない。
「ピンチはチャンス」という言葉にも
そんな示唆を感じてしまう。
ところで、これだけ谷間の話をしてきたが、
女性の胸に話題をすり替えていくつもりは毛頭ない。
「小さすぎず、大きすぎず、C〜Dくらいがちょうどいいよね」
なんてこれっぽっちも頭をよぎっていない。
谷間ってネガティブな意味のものばかりだけど、
胸の谷間だけはすごくすごくポジティブな存在で、
世の中の均衡を保つ救世主だなあ、
なんて僅かたりとも考えていない。
考えていないったら、考えていないんだ。
だけど、なんでだろう。
これだけ谷間谷間と連呼しているのに、
ちっともゲシュタルト崩壊しないのは。
頭の中の谷間の映像が、ずっと肌色なのは。
2011年10月18日火曜日
町のテーマパーク化
完全に思いつきですが。
町のテーマパーク化というのを
やっていったらどうだろう?
①いいテーマパークは一日過ごせる。
アトラクションがおもしろい。
待っている間もストーリーを味わえる。
テーマパーク内の移動が楽しい、もしくはラクチン。
ごはんやデザートが充実していて、
世界観と繋がっているし、もちろんおいしい。
おみやげにも抜かりがない。
一日いて飽きないから、ついお金を使ってしまう。
②いいテーマパークはまた来たくなる。
一回行っただけでは見つけきれない宝探し要素が満載。
定期的に新しいものが誕生するから、
何度行っても発見がある。
そこでしか味わえない世界があるから、
また行きたくなる。行くほどにファンになる。
③いいテーマパークは話したくなる。
「この前○○に行ってきたんだよ」
「えー、じゃあ××に乗った?△△は食べた?」
一緒に言った人じゃなくても、体験を共有できる。
共有できるけど、一緒じゃないから
お互いが知らなかったことも見つかる。情報交換できる。
そうして話しているうちに、また行きたくなる。
④いいテーマパークにはテーマがある。
ディズニーランドは「夢と魔法の国」。
普段生活している現実とは全く違った世界へ行ける。
富士急ハイランドは「絶叫天国(勝手につけました)」。
ギネスを更新するために、定期的に新しい絶叫マシンを導入している。
あのスリルは他所ではちょっと味わえない。
当然ながらディズニーランドを思い浮かべながら
適当に挙げていった条件だけど、
「楽しい空間に求めるもの」を考えていくと、
おのずとこういったものなってくるんだろう。
「町の活性化=町という単位でのブランドづくり」が
文化的にも商業的にも成功しているのは
秋葉原がダントツだと思うんだけど、
やはりと言うか、さすがと言うか、
全部を満たしているんだよなあ。
町のテーマパーク化というのを
やっていったらどうだろう?
①いいテーマパークは一日過ごせる。
アトラクションがおもしろい。
待っている間もストーリーを味わえる。
テーマパーク内の移動が楽しい、もしくはラクチン。
ごはんやデザートが充実していて、
世界観と繋がっているし、もちろんおいしい。
おみやげにも抜かりがない。
一日いて飽きないから、ついお金を使ってしまう。
②いいテーマパークはまた来たくなる。
一回行っただけでは見つけきれない宝探し要素が満載。
定期的に新しいものが誕生するから、
何度行っても発見がある。
そこでしか味わえない世界があるから、
また行きたくなる。行くほどにファンになる。
③いいテーマパークは話したくなる。
「この前○○に行ってきたんだよ」
「えー、じゃあ××に乗った?△△は食べた?」
一緒に言った人じゃなくても、体験を共有できる。
共有できるけど、一緒じゃないから
お互いが知らなかったことも見つかる。情報交換できる。
そうして話しているうちに、また行きたくなる。
④いいテーマパークにはテーマがある。
ディズニーランドは「夢と魔法の国」。
普段生活している現実とは全く違った世界へ行ける。
富士急ハイランドは「絶叫天国(勝手につけました)」。
ギネスを更新するために、定期的に新しい絶叫マシンを導入している。
あのスリルは他所ではちょっと味わえない。
当然ながらディズニーランドを思い浮かべながら
適当に挙げていった条件だけど、
「楽しい空間に求めるもの」を考えていくと、
おのずとこういったものなってくるんだろう。
「町の活性化=町という単位でのブランドづくり」が
文化的にも商業的にも成功しているのは
秋葉原がダントツだと思うんだけど、
やはりと言うか、さすがと言うか、
全部を満たしているんだよなあ。
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