「ほめて伸ばす」と
「叩いて伸ばす」という
言い方があるけど、
この「叩いて伸ばす」っていうのは、
本当にいい方法なのか?と
疑っている今日この頃。
メカニズムを整理していくと
こういうことなんだと思います。
◯「叩いて伸ばす」のメカニズム
叩かれる(=否定される)→悔しい→努力する→伸びる
◯「ほめて伸ばす」のメカニズム
ほめられる→うれしい→またがんばる→伸びる
「叩いて伸ばす」のメカニズムも
まあ、わかる気はするし、
実際それで伸びた人も見たことあります。
伸ばす人としてではなく、伸びた人でもなく、
第三者として。
ただ、当然のこととして
「悔しい」から「努力する」へのステップで
脱落する人も出てきます。
この人は「叩かれて伸びなかった人」となるわけです。
一方で「ほめて伸ばす」の場合、
「うれしい」から「またがんばる」へのステップで
がんばれない人が出てくる、という意見があったりします。
「うれしい」で満足して止まってしまうと言うのです。
「叩いて伸ばす」が好きな人は、
この点を主張します。
でも、ほんとに「うれしい」で
満足して止まるのか?と思うわけです。
よっぽどの怠け者じゃない限り、
ほめられるとがんばっちゃいますよ。
だって、もっとほめられたいし、
みんな、自分をほめてくれる人は
好きですからね。
その人の期待にもっと応えたいと
考えるのが、素直な反応だと思います。
それに、もっと単純な比較として、
悔しくて力を出せる確率と、
うれしくて力を出せる確率って
どちらが高いんでしょうか?
こんなシンプルな確率論は
頭じゃなくて心で考えれば、
すぐに答えが出ると思うんですけどね。
「人類みな、ほめられて伸びる子」
甘っちょろいと言われるかもしれませんが、
これが僕の中での答えです。
2011年12月9日金曜日
2011年12月7日水曜日
感情が伝わっていく時代
ふと思い出した「IT革命」という言葉。
久しぶりに聞いた気がしませんか?
そしてもうすでに、
古くさく感じませんか?
Webの普及は
テレビなどの古いメディアを
王座から引きずり下ろしました。
玉ねぎの皮を剥いていくように
旧メディアの価値を無力化していき、
芯の部分にあった「情報」だけが
最終的にその場に残っていて、
とどのつまりは
「情報」そのものに
価値をあたえる結果となったのです。
そして、さらに時間は前に進み、
ソーシャルメディアが登場。
情報の発信・受信がより
リアルタイムになったことはもちろんですが、
それよりも感じるのが、
自分を360度から見られている感覚です。
毎日の食事を写真とともにアップする人。
「食べる」ということを
大事にしていることが伝わってきます。
これを「情報」という切り口だけで見てしまうと、
その人が何を食べているかを
知るだけのツールになってしまう。
だけど、伝わることはそれだけじゃないはずです。
食事を心の底から楽しんでいることや、
普段は入らないお店への好奇心旺盛な様子なども
そこにはあふれているはず。
伝わることの総量で見ていくと、
きっと「情報」の量よりも、
「感情」の量のほうが多いのではないでしょうか。
それは、直線的なベクトルで「伝えるもの」というよりも、
放射線的ににじみ出ていく「伝わってしまうもの」と
捉えた方がいいかもしれない。
自分を360度から見られている感覚というのは、
そういう意味ですが、
これは決してネガティブな意味ではなくて、
自分を360度から「見せることができる」と
言い換えられると思います。
まあ、そんなこんなで、
今後セルフブランディングという言葉が、
日常用語になっていくのでしょうが、
情報勝者ならぬ「感情勝者」というものが
出てきてもおかしくないような、そんな予感がします。
つまりは先日の「楽しそうな人最強説」に
つながるんですけどね。
あー、楽しい(ヘタクソ)。
久しぶりに聞いた気がしませんか?
そしてもうすでに、
古くさく感じませんか?
Webの普及は
テレビなどの古いメディアを
王座から引きずり下ろしました。
玉ねぎの皮を剥いていくように
旧メディアの価値を無力化していき、
芯の部分にあった「情報」だけが
最終的にその場に残っていて、
とどのつまりは
「情報」そのものに
価値をあたえる結果となったのです。
そして、さらに時間は前に進み、
ソーシャルメディアが登場。
情報の発信・受信がより
リアルタイムになったことはもちろんですが、
それよりも感じるのが、
自分を360度から見られている感覚です。
毎日の食事を写真とともにアップする人。
「食べる」ということを
大事にしていることが伝わってきます。
これを「情報」という切り口だけで見てしまうと、
その人が何を食べているかを
知るだけのツールになってしまう。
だけど、伝わることはそれだけじゃないはずです。
食事を心の底から楽しんでいることや、
普段は入らないお店への好奇心旺盛な様子なども
そこにはあふれているはず。
伝わることの総量で見ていくと、
きっと「情報」の量よりも、
「感情」の量のほうが多いのではないでしょうか。
それは、直線的なベクトルで「伝えるもの」というよりも、
放射線的ににじみ出ていく「伝わってしまうもの」と
捉えた方がいいかもしれない。
自分を360度から見られている感覚というのは、
そういう意味ですが、
これは決してネガティブな意味ではなくて、
自分を360度から「見せることができる」と
言い換えられると思います。
まあ、そんなこんなで、
今後セルフブランディングという言葉が、
日常用語になっていくのでしょうが、
情報勝者ならぬ「感情勝者」というものが
出てきてもおかしくないような、そんな予感がします。
つまりは先日の「楽しそうな人最強説」に
つながるんですけどね。
あー、楽しい(ヘタクソ)。
2011年12月3日土曜日
楽しそうな人最強説
最近わかってきたことは、
「楽しんでる人は強い」ってこと。
楽しそうというだけで何だか魅力的だし、
結局そういう人のところに
人も仕事も集まるように思います。
逆のこともまた当然のように起こるわけです。
つまらなさそうな人、
不満っぽい人、愚痴っぽい人とは、
距離を置きたくなるのが人情というもの。
前者と後者で何が違うのか。
楽しそうな人はラッキーなことばかり起こっているのか。
つまらなさそうな人は不幸のループに陥っているのか。
それはそうなんだけど、
実はそうじゃないんじゃないでしょうか。
楽しそうな人だって残念な出来事はあるだろうし、
つまらなさそうな人だって
幸せのかけらは降ってきているはず。
もっと言えば、現象そのものには
「楽しい」とか「つまらない」とか
そんなもの決まってなくて、
それを受け取った人が、
どう感じるかを決めているだけだと思うのです。
楽しいことが起こるから
楽しいのではなくて、
何でも楽しんでいるから
楽しく生きられる。
つまらないことが起こるから
つまらないのではなくて、
何でもつまらなく感じているから
つまらなく生きてしまう。
…と、ここで結論づける気はありません。
こんなこと、あやしい宗教ですら言っている。
だけど、人間そんなに器用に生きられるわけがない。
それはよくわかってるので、ここでまた提案です。
「楽しい」と思ったことは積極的に
たくさんの人に振りまく。
「つまらない」「不満」「愚痴」の類いは、
極力自分の中に留めておく。
もしくは、ひとつの「つまらない」につき、
一人にしか伝えない。
これ、そんなに難しくない上に、効果絶大です。
昔見た大阪のローカル番組で
「おばあちゃんに好きな食べ物を尋ねると、
“なんでも食べるよ”と答える」という法則を
検証したものがありました。
結果は本当にその通り。
人生の達人たちは、
どんなものもおいしくいただいてしまうのです。
嗚呼、リスペクト。
「楽しんでる人は強い」ってこと。
楽しそうというだけで何だか魅力的だし、
結局そういう人のところに
人も仕事も集まるように思います。
逆のこともまた当然のように起こるわけです。
つまらなさそうな人、
不満っぽい人、愚痴っぽい人とは、
距離を置きたくなるのが人情というもの。
前者と後者で何が違うのか。
楽しそうな人はラッキーなことばかり起こっているのか。
つまらなさそうな人は不幸のループに陥っているのか。
それはそうなんだけど、
実はそうじゃないんじゃないでしょうか。
楽しそうな人だって残念な出来事はあるだろうし、
つまらなさそうな人だって
幸せのかけらは降ってきているはず。
もっと言えば、現象そのものには
「楽しい」とか「つまらない」とか
そんなもの決まってなくて、
それを受け取った人が、
どう感じるかを決めているだけだと思うのです。
楽しいことが起こるから
楽しいのではなくて、
何でも楽しんでいるから
楽しく生きられる。
つまらないことが起こるから
つまらないのではなくて、
何でもつまらなく感じているから
つまらなく生きてしまう。
…と、ここで結論づける気はありません。
こんなこと、あやしい宗教ですら言っている。
だけど、人間そんなに器用に生きられるわけがない。
それはよくわかってるので、ここでまた提案です。
「楽しい」と思ったことは積極的に
たくさんの人に振りまく。
「つまらない」「不満」「愚痴」の類いは、
極力自分の中に留めておく。
もしくは、ひとつの「つまらない」につき、
一人にしか伝えない。
これ、そんなに難しくない上に、効果絶大です。
昔見た大阪のローカル番組で
「おばあちゃんに好きな食べ物を尋ねると、
“なんでも食べるよ”と答える」という法則を
検証したものがありました。
結果は本当にその通り。
人生の達人たちは、
どんなものもおいしくいただいてしまうのです。
嗚呼、リスペクト。
2011年12月1日木曜日
ほうれん草
社会人の初心者が
先輩たちからよく言われる言葉に
「ホウレンソウ」というものがあります。
「報告・連絡・相談」の略で、
情報共有することで当事者を増やすことができたり、
うまくいっていないことを
未然に周りに知らせることができたりと、
仕事のリスクを最小限にしていくために、
とても大事なことです。
仕事がスムーズにいっていない時は
よくよく見直すと、大体の場合で、
この「ホウレンソウ」が
おろそかになっていたりします。
それくらい、仕事人にとって
初歩中の初歩であり、欠かせない基礎能力です。
それはもちろんそうなのですが、
一方で「ホウレンソウ完遂型人間」と
なってしまう人もいます。
これはつまり「ホウレンソウ」をした時点で、
自分で考えたり判断することを
ストップしてしまう人のこと。
「先方が○○とおっしゃっているのですが、どうしましょう?」
「あの案件××という状態なんですが、どうしたらいいですか?」
つまり、相手に判断をすべて委ねているんです。
こういう姿勢になってしまうと、
ホウレンソウを達成した時点で
「私の仕事は終了です」となってしまう。
そこから先は、上司なのか先輩なのか、
ホウレンソウをした相手の判断がすべてとなってしまいます。
悪くいうと、丸投げ。
このスタンスを続けていると
いつまでも「お伺いを立てる」立場でいてしまうし、
仕事をまかせる側からしても、
最終的に頭を使う仕事をしなくてはならないので、
手離れが悪くなってしまう。つまり、まかせる意味が目減りする。
お互いによくないわけです。
ここで提案なのですが、ホウレンソウをする時は、
「僕はこうしたいんですが、構わないでしょうか?」
と、Yes/Noで答えられるように
投げかけるというのはどうでしょう。
聞く側からすれば、自分の判断を中心にしながら
仕事を進められるので、上司や先輩を交えても
仕事の主人公のままでいられる。
聞かれる側からしても、
とりあえずYes/Noの判断をすればいいので、
かけるパワーと時間が少なくて済む。
また、まかせた側の人間が
どれだけ現状をコントロールしながら
仕事を進めているのかが把握できるので、
安心感も持てる。
どちらにとっても嬉しい状態と
なるんじゃないでしょうかね〜。
さて、これを「ホウレンソウ」ではなく
判断・共有・ラン○○と言い換えて
「ハンキョウラン」という新語を生み出そうとしたのですが、
ランで始まる単語が浮かばなかった上に、
ビジネスの現場で「ハンキョウラン」という言葉が
飛び交うのもいかがなものかと思うので、
謹んで辞退したいと思います。あしからず。
先輩たちからよく言われる言葉に
「ホウレンソウ」というものがあります。
「報告・連絡・相談」の略で、
情報共有することで当事者を増やすことができたり、
うまくいっていないことを
未然に周りに知らせることができたりと、
仕事のリスクを最小限にしていくために、
とても大事なことです。
仕事がスムーズにいっていない時は
よくよく見直すと、大体の場合で、
この「ホウレンソウ」が
おろそかになっていたりします。
それくらい、仕事人にとって
初歩中の初歩であり、欠かせない基礎能力です。
それはもちろんそうなのですが、
一方で「ホウレンソウ完遂型人間」と
なってしまう人もいます。
これはつまり「ホウレンソウ」をした時点で、
自分で考えたり判断することを
ストップしてしまう人のこと。
「先方が○○とおっしゃっているのですが、どうしましょう?」
「あの案件××という状態なんですが、どうしたらいいですか?」
つまり、相手に判断をすべて委ねているんです。
こういう姿勢になってしまうと、
ホウレンソウを達成した時点で
「私の仕事は終了です」となってしまう。
そこから先は、上司なのか先輩なのか、
ホウレンソウをした相手の判断がすべてとなってしまいます。
悪くいうと、丸投げ。
このスタンスを続けていると
いつまでも「お伺いを立てる」立場でいてしまうし、
仕事をまかせる側からしても、
最終的に頭を使う仕事をしなくてはならないので、
手離れが悪くなってしまう。つまり、まかせる意味が目減りする。
お互いによくないわけです。
ここで提案なのですが、ホウレンソウをする時は、
「僕はこうしたいんですが、構わないでしょうか?」
と、Yes/Noで答えられるように
投げかけるというのはどうでしょう。
聞く側からすれば、自分の判断を中心にしながら
仕事を進められるので、上司や先輩を交えても
仕事の主人公のままでいられる。
聞かれる側からしても、
とりあえずYes/Noの判断をすればいいので、
かけるパワーと時間が少なくて済む。
また、まかせた側の人間が
どれだけ現状をコントロールしながら
仕事を進めているのかが把握できるので、
安心感も持てる。
どちらにとっても嬉しい状態と
なるんじゃないでしょうかね〜。
さて、これを「ホウレンソウ」ではなく
判断・共有・ラン○○と言い換えて
「ハンキョウラン」という新語を生み出そうとしたのですが、
ランで始まる単語が浮かばなかった上に、
ビジネスの現場で「ハンキョウラン」という言葉が
飛び交うのもいかがなものかと思うので、
謹んで辞退したいと思います。あしからず。
2011年11月30日水曜日
Not Yesterday
人が作るもののほとんどは、
役割をあたえられて生まれてきます。
いや、ほとんどじゃなくて、
すべてと言っていいかもしれない。
たとえば、朝の貴重な時間を
なんとかやりくりして作った「おにぎり」。
お昼のために会社に持って行く
この「おにぎり」には、
いくつかの役割があたえられます。
「お腹を満たす」「昼食代を節約する」
「昼食の時間を節約する」
「まとめて炊いたごはんを有効活用する」
…ちょっと考えただけでも、
これだけ色々な役割があるわけです。
ちょっと事務的とか、無機質とか、
そんな言い方になってしまうけど、
この役割をきちんと果たすことを
「機能する」という言い方で表現する。
この「おにぎり」は
お昼に僕のお腹に収まることで、
さっきの役割を果たすことになります。
「おにぎり」として機能したということです。
ところが、世の中を見回すと、
機能していないものがたくさんあったりします。
機能しない商品、機能しない店員さん、
機能しないテレビ番組、機能しない広告、
機能しない政治、機能しない言葉…。
この機能しないものを
どうやって機能するものに変えていくか。
これが結構大事なテーマだし、
僕自身、今後取り組んでいきたいことだったりします。
意外と「変える」ではなくて「換える」で
解決できるケースが多かったりして。
機能していないくせに、
機能している顔をしているアレコレ達よ、
覚悟しなさいよ!ってなもんです。
役割をあたえられて生まれてきます。
いや、ほとんどじゃなくて、
すべてと言っていいかもしれない。
たとえば、朝の貴重な時間を
なんとかやりくりして作った「おにぎり」。
お昼のために会社に持って行く
この「おにぎり」には、
いくつかの役割があたえられます。
「お腹を満たす」「昼食代を節約する」
「昼食の時間を節約する」
「まとめて炊いたごはんを有効活用する」
…ちょっと考えただけでも、
これだけ色々な役割があるわけです。
ちょっと事務的とか、無機質とか、
そんな言い方になってしまうけど、
この役割をきちんと果たすことを
「機能する」という言い方で表現する。
この「おにぎり」は
お昼に僕のお腹に収まることで、
さっきの役割を果たすことになります。
「おにぎり」として機能したということです。
ところが、世の中を見回すと、
機能していないものがたくさんあったりします。
機能しない商品、機能しない店員さん、
機能しないテレビ番組、機能しない広告、
機能しない政治、機能しない言葉…。
この機能しないものを
どうやって機能するものに変えていくか。
これが結構大事なテーマだし、
僕自身、今後取り組んでいきたいことだったりします。
意外と「変える」ではなくて「換える」で
解決できるケースが多かったりして。
機能していないくせに、
機能している顔をしているアレコレ達よ、
覚悟しなさいよ!ってなもんです。
2011年11月17日木曜日
デジタルネイティブ論
デジタルネイティブは恐るるに足らん。
このことは、ちょっと自信を持って主張したい。
物心ついた頃から身の周りにインターネットや
パソコンがあり、その頃からITに触れてきた世代を
デジタルネイティブと呼ぶという。
まだ小学校に入る前の知り合いの子供は、
テレビの画面を指先でスライドさせようとするらしい。
ディスプレイはすべてタッチパネルだと
認識しているのだ。
もうちょっと年齢が進むと、
パソコンを使いこなすのは当たり前で、
授業のノートをEvernoteに保存したり、
友達とのおしゃべりもSkypeを活用するそうだ。
本当の話かどうかはわからないが、
そんな現実があっても不思議じゃなさそうだ。
じゃあ、そんな彼らがお金を持って購買層になったり
社会人になって一緒に働くようになったら
驚異的な存在になるか、と言ったら、
そうでもないような気がする。
ITの登場や進化にワクワクやハラハラしてきた人々の方が
生まれた時から当たり前に触れてきた人々よりも
それを使って何かしてやろうという気持ちが
強いのではないだろうか。
いや、きっと強い。
でも、デジタルネイティブの中にもきっと
そんな気持ちの強い人は確実にいて、
結論としては、世代だけで区切って
乱暴にタイプ分けしてみても、
あんまり意味ないんじゃない?ということだ。
このことは、ちょっと自信を持って主張したい。
物心ついた頃から身の周りにインターネットや
パソコンがあり、その頃からITに触れてきた世代を
デジタルネイティブと呼ぶという。
まだ小学校に入る前の知り合いの子供は、
テレビの画面を指先でスライドさせようとするらしい。
ディスプレイはすべてタッチパネルだと
認識しているのだ。
もうちょっと年齢が進むと、
パソコンを使いこなすのは当たり前で、
授業のノートをEvernoteに保存したり、
友達とのおしゃべりもSkypeを活用するそうだ。
本当の話かどうかはわからないが、
そんな現実があっても不思議じゃなさそうだ。
じゃあ、そんな彼らがお金を持って購買層になったり
社会人になって一緒に働くようになったら
驚異的な存在になるか、と言ったら、
そうでもないような気がする。
ITの登場や進化にワクワクやハラハラしてきた人々の方が
生まれた時から当たり前に触れてきた人々よりも
それを使って何かしてやろうという気持ちが
強いのではないだろうか。
いや、きっと強い。
でも、デジタルネイティブの中にもきっと
そんな気持ちの強い人は確実にいて、
結論としては、世代だけで区切って
乱暴にタイプ分けしてみても、
あんまり意味ないんじゃない?ということだ。
2011年11月12日土曜日
自分を探すな
昔から違和感を感じている言葉がある。
「自分探しの旅」というやつだ。
大体が10代後半~20代前半のあいだに
ある程度まとまった期間を使って、
主に国外を旅をする。
これまで知らなかった
自分の一面を発見するのが目的。
ハードであればあるほど良いとされており(多分)、
行き先はタイやインドなど、日本ほどインフラが
整備されていない国がスタンダード。
お金もあまり持っていかないのがいいみたいだ。
若いうちに外国を旅することに文句はないし、
むしろ見聞を広めるという意味では
得るものも大きいのだろうけど、
「自分探し」っていう言葉がなんかヤダ。
自分というものの本質がどこかにあると仮定して、
それを探しに海外に行くというのは、つまりどういうこと?
日常を置き去りにして飛び込む非日常にこそ自分があるの?
今の自分は本当の自分じゃないとでも言いたいの?
おっと、ストップストップ。
言葉のナイフが止まらなくなる。やめとこう。
自分なんてものは探すほど広くない。
現時点で見えている範囲でほぼ誤差はないのだ。
だから、本当にやらなきゃいけないことは、
その枠をどう超えていくかということ。
不得意な分野やあまり手を出してこなかったものに、
あえて挑戦していき、自分の守備範囲を増やしていく。
それを成長と呼ぶのではないのかい?
大事なのは「自分探し」ではなくて「自分壊し」なのだ。
若者だけじゃなくて。
諸兄、心にデストロイヤーを持とうぜ。
「自分探しの旅」というやつだ。
大体が10代後半~20代前半のあいだに
ある程度まとまった期間を使って、
主に国外を旅をする。
これまで知らなかった
自分の一面を発見するのが目的。
ハードであればあるほど良いとされており(多分)、
行き先はタイやインドなど、日本ほどインフラが
整備されていない国がスタンダード。
お金もあまり持っていかないのがいいみたいだ。
若いうちに外国を旅することに文句はないし、
むしろ見聞を広めるという意味では
得るものも大きいのだろうけど、
「自分探し」っていう言葉がなんかヤダ。
自分というものの本質がどこかにあると仮定して、
それを探しに海外に行くというのは、つまりどういうこと?
日常を置き去りにして飛び込む非日常にこそ自分があるの?
今の自分は本当の自分じゃないとでも言いたいの?
おっと、ストップストップ。
言葉のナイフが止まらなくなる。やめとこう。
自分なんてものは探すほど広くない。
現時点で見えている範囲でほぼ誤差はないのだ。
だから、本当にやらなきゃいけないことは、
その枠をどう超えていくかということ。
不得意な分野やあまり手を出してこなかったものに、
あえて挑戦していき、自分の守備範囲を増やしていく。
それを成長と呼ぶのではないのかい?
大事なのは「自分探し」ではなくて「自分壊し」なのだ。
若者だけじゃなくて。
諸兄、心にデストロイヤーを持とうぜ。
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