30歳になりました。
たくさんの方におめでとうメッセージをいただき
うれしかったです。ありがとうございます。
まあ、30代になったからと言って何も変わりません。
それどころか、やっと背伸びをせず
自然体で生きていけると、
楽になった気持ちさえしています。
そんな晴れやかな心模様の自分から、
20歳の頃へメッセージを送るとしたら、
それは「評論家になるな。アイデアマンになるな」かな。
まず評論家。これは「なっちゃいけない」というのは
ガッテン承知の助なのですが、
気を抜くとすぐ顔を出す厄介なヤツです。
自分の得意な分野からそうでない分野まで、
せまい経験談や聞きかじった知識で、
良い・悪いとすぐに仕分けしたくなってしまう。
物事に自分なりの意見を持つのは悪いことではないけど、
自分で汗をかいたわけでもない出来事に、
口を挟みすぎるのは危険。
評論することで汗を流すこともできちゃうからね。
そこで満足感や達成感を得ても、
またすぐに乾いちゃって、次の評論の対象を探してしまう。
そんなことしてられるほど、人生は長くない…と思います。
続いてはアイデアマン。
これは逆に「なぜいけないの?」と思うでしょう。
理由は一緒で、やっぱり汗をかかなきゃ意味がないと思うから。
実のところ、アイデアを出すのは割とカンタンです。
それにアイデアの段階では、
それが良いのか悪いのかは判断しにくい。
もちろん、全然ダメなものはわかりますけどね。
そして何より、アイデアは実現することのほうが
何十倍も何百倍も難しい。
実現するのに必要なステップを一つひとつ重ねていくためにも、
また小さなアイデアが必要となってくるし、
それを全部揃えることのほうが、
最初の第一歩のアイデアを考えるよりも大変です。
実現できないアイデアは、
「なかった」と思われても文句言えないんですよね。
厳しいですが、それが20代の10年間で思い知った現実でした。
だけど、すぐには実現しなくても
時間がたってから実現するアイデアもある。
それを20代最後の一年で体験できたのもすごく良かった。
20歳の僕よ。もう一度、この言葉を贈ろう。
評論家になるな。アイデアマンになるな。
2012年1月16日月曜日
2012年1月10日火曜日
お客さんのプロになりたい。
あけましておめでとうございます。
本年もマイペースでいきますが、
よろしくお願いします。
(ご挨拶おそくなってすみません)
------
友人が、落語の一門会に出かけたそうです。
ある駆け出し落語家の晴れ舞台を見るためでした。
高座には芸歴の浅い者から登場するため、
その若手落語家はトップバッターを務めます。
演目は古典の「千早振る」。
友人が見ていたところ、
その落語家さんは明らかに緊張した様子で、
以前に見た時よりも早口になっていました。
そういった緊張は聞いている側にも伝わるものなので、
友人は落語を聞いて笑うというより、
心で応援の言葉をささやくような、
そんな気持ちになって見ていたそうです。
友人が感心したのは、客席の反応でした。
お客さんの中には落語をよく知っている方も多く、
「千早振る」がどんな内容かは十二分にわかっています。
もちろん、どこが笑う箇所なのかということも。
そして、お客さんたちは笑う箇所が来たら、
揃って笑うんだそうです。
落語をあまり知らない友人からは
早口でよく聞き取れない箇所もあったりするのですが、
客席からはきちんと笑い声が起きます。
すると、笑い声を聞いた舞台上の落語家さんからは、
徐々に緊張の色が薄れていきます。
次第にいつもの調子を取り戻していったのだそうです。
舞台上の人間だけが演目を創り上げるのではなく、
客席も含めたその場にいる人達全員で、
空間を盛り上げていく。
いわゆるインタラクティブです。
「俺は客だから、さあ笑わせろ」
という人がいたら、成立しない空間です。
中にはいるのかもしれませんが、
そんな人をいないように思わせてくれるだけの
懐の深さにあふれているように思います。
これって、いくらでも応用できるんですよね。
僕は散髪に行ったら、
シャンプーしてくれる人に
かならず「気持ちいいですわ〜」と言います。
心の底からそう思っているのですが、
思っているだけでは伝わらないので、
かならず言葉に出して伝えます。
シャンプーを担当するのは
新人さんの場合が多いので、
あまり褒められ慣れていないのでしょう。
何気ない一言にもすごく喜んでくれます。
きっとその後のマッサージも
念入りにやってくれているはずです。
何というのでしょうか、
「サービスする側」と「サービスされる側」のステキな関係?
お互いを尊重し合うことが、
お互いの力を最大限に引き出すことにつながり、
結局それはお互いにとっての“得”になるはずなんですよね。
「お客様は神様」なんて、お店側が言うことであって、
お客さん側からは間違っても言ってはならない。
そんな人はお客さんのアマチュアだなあ、と思うわけです。
本年もマイペースでいきますが、
よろしくお願いします。
(ご挨拶おそくなってすみません)
------
友人が、落語の一門会に出かけたそうです。
ある駆け出し落語家の晴れ舞台を見るためでした。
高座には芸歴の浅い者から登場するため、
その若手落語家はトップバッターを務めます。
演目は古典の「千早振る」。
友人が見ていたところ、
その落語家さんは明らかに緊張した様子で、
以前に見た時よりも早口になっていました。
そういった緊張は聞いている側にも伝わるものなので、
友人は落語を聞いて笑うというより、
心で応援の言葉をささやくような、
そんな気持ちになって見ていたそうです。
友人が感心したのは、客席の反応でした。
お客さんの中には落語をよく知っている方も多く、
「千早振る」がどんな内容かは十二分にわかっています。
もちろん、どこが笑う箇所なのかということも。
そして、お客さんたちは笑う箇所が来たら、
揃って笑うんだそうです。
落語をあまり知らない友人からは
早口でよく聞き取れない箇所もあったりするのですが、
客席からはきちんと笑い声が起きます。
すると、笑い声を聞いた舞台上の落語家さんからは、
徐々に緊張の色が薄れていきます。
次第にいつもの調子を取り戻していったのだそうです。
舞台上の人間だけが演目を創り上げるのではなく、
客席も含めたその場にいる人達全員で、
空間を盛り上げていく。
いわゆるインタラクティブです。
「俺は客だから、さあ笑わせろ」
という人がいたら、成立しない空間です。
中にはいるのかもしれませんが、
そんな人をいないように思わせてくれるだけの
懐の深さにあふれているように思います。
これって、いくらでも応用できるんですよね。
僕は散髪に行ったら、
シャンプーしてくれる人に
かならず「気持ちいいですわ〜」と言います。
心の底からそう思っているのですが、
思っているだけでは伝わらないので、
かならず言葉に出して伝えます。
シャンプーを担当するのは
新人さんの場合が多いので、
あまり褒められ慣れていないのでしょう。
何気ない一言にもすごく喜んでくれます。
きっとその後のマッサージも
念入りにやってくれているはずです。
何というのでしょうか、
「サービスする側」と「サービスされる側」のステキな関係?
お互いを尊重し合うことが、
お互いの力を最大限に引き出すことにつながり、
結局それはお互いにとっての“得”になるはずなんですよね。
「お客様は神様」なんて、お店側が言うことであって、
お客さん側からは間違っても言ってはならない。
そんな人はお客さんのアマチュアだなあ、と思うわけです。
2011年12月27日火曜日
修行グセにご注意を
若い頃は「とにかく何でも経験だ」と
言われます。それはほんとにその通り。
大変な事や気の進まない事も
率先して取り組み、
上司や先輩の言うことに従う。
そして、そこからひとつでも多くを盗み、
自分の成長の糧としていく。
いわば修業期間。
そして、修行に終わりはありません。
すべてを師とできる人は強い。
そういう人は成長が止まらない。
自分もそのようにありたい、と
常日頃から思ったりします。
もはや決めゼリフのようになってきましたが、
このことにまったく異論はありません。
だけど「修行グセ」というものには
やっぱり気をつけた方がいいと思うのです。
30代に差し掛かる僕の歳だからこそ
思うのかもしれないですが、
「偉大なる先輩たち」を
何らかのタイミングで
「ライバル」と変換しなくては、
いつまでも同じ土俵に立てないような気がします。
いつもふたつの目を持ちながら、
片方では、先輩として尊敬と勉強の姿勢を絶やさず、
もう一方では、密かなライバルとして虎視眈々と逆転をねらう。
ガツガツしても疲れるので、
ナチュラルにそんな姿勢で生きられたらと、
ふと思うのでございました。
言われます。それはほんとにその通り。
大変な事や気の進まない事も
率先して取り組み、
上司や先輩の言うことに従う。
そして、そこからひとつでも多くを盗み、
自分の成長の糧としていく。
いわば修業期間。
そして、修行に終わりはありません。
すべてを師とできる人は強い。
そういう人は成長が止まらない。
自分もそのようにありたい、と
常日頃から思ったりします。
もはや決めゼリフのようになってきましたが、
このことにまったく異論はありません。
だけど「修行グセ」というものには
やっぱり気をつけた方がいいと思うのです。
30代に差し掛かる僕の歳だからこそ
思うのかもしれないですが、
「偉大なる先輩たち」を
何らかのタイミングで
「ライバル」と変換しなくては、
いつまでも同じ土俵に立てないような気がします。
いつもふたつの目を持ちながら、
片方では、先輩として尊敬と勉強の姿勢を絶やさず、
もう一方では、密かなライバルとして虎視眈々と逆転をねらう。
ガツガツしても疲れるので、
ナチュラルにそんな姿勢で生きられたらと、
ふと思うのでございました。
2011年12月17日土曜日
経験則ブギ
「それはそうなんだけど、
それだけじゃないんじゃないか?」
と思ったりする事があります。
素直さを欠く視点ですから、
下手すると唯我独尊にもなりかねないので、
使いすぎないようにしなきゃいけないですけどね。
はい、それはわかった上で、
やっぱり思うところがあるので、
書いてみます。
年輩の方は経験則に基づいて、
アドバイスをくれます。
それはもう、肯定とか否定とか、
そんなレベルじゃなく受け止めるべき事です。
ですが、経験則を信じすぎるのも
それはそれで危険な事です。
ましてや、時代は年々変化のスピードを速め、
さらに進んでいく方向だって、
一直線に上昇していく事はなく、
ひたすら蛇行しているような状態ですから、
経験則が急速に古びてしまうこともあるわけです。
経験則に基づいたアドバイスというのは
後から来る者が、前を行く者と
同じ道を歩いているという事が前提となります。
同じ道を歩いているからこそ、
「あそこでは熊が出るから気をつけろ」
「しばらくオアシスがないから水は極力我慢しろ」
といったアドバイスができるわけです。
そのため経験則からのアドバイスというのは、
「同じ道を歩いている」という確信があれば、
すべて素直に聞けばいいと思うのですが、
そこにもし疑問があるようであれば、
やはり受け取る側も自分なりに
解釈をしなおす必要があると思うのです。
もちろん「同じ道を歩いている」というのは、
イコール「同じ幸せをめざしている」ということ。
何度も言いますが、
経験則を否定しているわけではありません。
受け取る側も自己責任のもとに
経験則を活用しないといけないよなあ、
ということです。
それだけじゃないんじゃないか?」
と思ったりする事があります。
素直さを欠く視点ですから、
下手すると唯我独尊にもなりかねないので、
使いすぎないようにしなきゃいけないですけどね。
はい、それはわかった上で、
やっぱり思うところがあるので、
書いてみます。
年輩の方は経験則に基づいて、
アドバイスをくれます。
それはもう、肯定とか否定とか、
そんなレベルじゃなく受け止めるべき事です。
ですが、経験則を信じすぎるのも
それはそれで危険な事です。
ましてや、時代は年々変化のスピードを速め、
さらに進んでいく方向だって、
一直線に上昇していく事はなく、
ひたすら蛇行しているような状態ですから、
経験則が急速に古びてしまうこともあるわけです。
経験則に基づいたアドバイスというのは
後から来る者が、前を行く者と
同じ道を歩いているという事が前提となります。
同じ道を歩いているからこそ、
「あそこでは熊が出るから気をつけろ」
「しばらくオアシスがないから水は極力我慢しろ」
といったアドバイスができるわけです。
そのため経験則からのアドバイスというのは、
「同じ道を歩いている」という確信があれば、
すべて素直に聞けばいいと思うのですが、
そこにもし疑問があるようであれば、
やはり受け取る側も自分なりに
解釈をしなおす必要があると思うのです。
もちろん「同じ道を歩いている」というのは、
イコール「同じ幸せをめざしている」ということ。
何度も言いますが、
経験則を否定しているわけではありません。
受け取る側も自己責任のもとに
経験則を活用しないといけないよなあ、
ということです。
2011年12月9日金曜日
正しい伸ばし方
「ほめて伸ばす」と
「叩いて伸ばす」という
言い方があるけど、
この「叩いて伸ばす」っていうのは、
本当にいい方法なのか?と
疑っている今日この頃。
メカニズムを整理していくと
こういうことなんだと思います。
◯「叩いて伸ばす」のメカニズム
叩かれる(=否定される)→悔しい→努力する→伸びる
◯「ほめて伸ばす」のメカニズム
ほめられる→うれしい→またがんばる→伸びる
「叩いて伸ばす」のメカニズムも
まあ、わかる気はするし、
実際それで伸びた人も見たことあります。
伸ばす人としてではなく、伸びた人でもなく、
第三者として。
ただ、当然のこととして
「悔しい」から「努力する」へのステップで
脱落する人も出てきます。
この人は「叩かれて伸びなかった人」となるわけです。
一方で「ほめて伸ばす」の場合、
「うれしい」から「またがんばる」へのステップで
がんばれない人が出てくる、という意見があったりします。
「うれしい」で満足して止まってしまうと言うのです。
「叩いて伸ばす」が好きな人は、
この点を主張します。
でも、ほんとに「うれしい」で
満足して止まるのか?と思うわけです。
よっぽどの怠け者じゃない限り、
ほめられるとがんばっちゃいますよ。
だって、もっとほめられたいし、
みんな、自分をほめてくれる人は
好きですからね。
その人の期待にもっと応えたいと
考えるのが、素直な反応だと思います。
それに、もっと単純な比較として、
悔しくて力を出せる確率と、
うれしくて力を出せる確率って
どちらが高いんでしょうか?
こんなシンプルな確率論は
頭じゃなくて心で考えれば、
すぐに答えが出ると思うんですけどね。
「人類みな、ほめられて伸びる子」
甘っちょろいと言われるかもしれませんが、
これが僕の中での答えです。
「叩いて伸ばす」という
言い方があるけど、
この「叩いて伸ばす」っていうのは、
本当にいい方法なのか?と
疑っている今日この頃。
メカニズムを整理していくと
こういうことなんだと思います。
◯「叩いて伸ばす」のメカニズム
叩かれる(=否定される)→悔しい→努力する→伸びる
◯「ほめて伸ばす」のメカニズム
ほめられる→うれしい→またがんばる→伸びる
「叩いて伸ばす」のメカニズムも
まあ、わかる気はするし、
実際それで伸びた人も見たことあります。
伸ばす人としてではなく、伸びた人でもなく、
第三者として。
ただ、当然のこととして
「悔しい」から「努力する」へのステップで
脱落する人も出てきます。
この人は「叩かれて伸びなかった人」となるわけです。
一方で「ほめて伸ばす」の場合、
「うれしい」から「またがんばる」へのステップで
がんばれない人が出てくる、という意見があったりします。
「うれしい」で満足して止まってしまうと言うのです。
「叩いて伸ばす」が好きな人は、
この点を主張します。
でも、ほんとに「うれしい」で
満足して止まるのか?と思うわけです。
よっぽどの怠け者じゃない限り、
ほめられるとがんばっちゃいますよ。
だって、もっとほめられたいし、
みんな、自分をほめてくれる人は
好きですからね。
その人の期待にもっと応えたいと
考えるのが、素直な反応だと思います。
それに、もっと単純な比較として、
悔しくて力を出せる確率と、
うれしくて力を出せる確率って
どちらが高いんでしょうか?
こんなシンプルな確率論は
頭じゃなくて心で考えれば、
すぐに答えが出ると思うんですけどね。
「人類みな、ほめられて伸びる子」
甘っちょろいと言われるかもしれませんが、
これが僕の中での答えです。
2011年12月7日水曜日
感情が伝わっていく時代
ふと思い出した「IT革命」という言葉。
久しぶりに聞いた気がしませんか?
そしてもうすでに、
古くさく感じませんか?
Webの普及は
テレビなどの古いメディアを
王座から引きずり下ろしました。
玉ねぎの皮を剥いていくように
旧メディアの価値を無力化していき、
芯の部分にあった「情報」だけが
最終的にその場に残っていて、
とどのつまりは
「情報」そのものに
価値をあたえる結果となったのです。
そして、さらに時間は前に進み、
ソーシャルメディアが登場。
情報の発信・受信がより
リアルタイムになったことはもちろんですが、
それよりも感じるのが、
自分を360度から見られている感覚です。
毎日の食事を写真とともにアップする人。
「食べる」ということを
大事にしていることが伝わってきます。
これを「情報」という切り口だけで見てしまうと、
その人が何を食べているかを
知るだけのツールになってしまう。
だけど、伝わることはそれだけじゃないはずです。
食事を心の底から楽しんでいることや、
普段は入らないお店への好奇心旺盛な様子なども
そこにはあふれているはず。
伝わることの総量で見ていくと、
きっと「情報」の量よりも、
「感情」の量のほうが多いのではないでしょうか。
それは、直線的なベクトルで「伝えるもの」というよりも、
放射線的ににじみ出ていく「伝わってしまうもの」と
捉えた方がいいかもしれない。
自分を360度から見られている感覚というのは、
そういう意味ですが、
これは決してネガティブな意味ではなくて、
自分を360度から「見せることができる」と
言い換えられると思います。
まあ、そんなこんなで、
今後セルフブランディングという言葉が、
日常用語になっていくのでしょうが、
情報勝者ならぬ「感情勝者」というものが
出てきてもおかしくないような、そんな予感がします。
つまりは先日の「楽しそうな人最強説」に
つながるんですけどね。
あー、楽しい(ヘタクソ)。
久しぶりに聞いた気がしませんか?
そしてもうすでに、
古くさく感じませんか?
Webの普及は
テレビなどの古いメディアを
王座から引きずり下ろしました。
玉ねぎの皮を剥いていくように
旧メディアの価値を無力化していき、
芯の部分にあった「情報」だけが
最終的にその場に残っていて、
とどのつまりは
「情報」そのものに
価値をあたえる結果となったのです。
そして、さらに時間は前に進み、
ソーシャルメディアが登場。
情報の発信・受信がより
リアルタイムになったことはもちろんですが、
それよりも感じるのが、
自分を360度から見られている感覚です。
毎日の食事を写真とともにアップする人。
「食べる」ということを
大事にしていることが伝わってきます。
これを「情報」という切り口だけで見てしまうと、
その人が何を食べているかを
知るだけのツールになってしまう。
だけど、伝わることはそれだけじゃないはずです。
食事を心の底から楽しんでいることや、
普段は入らないお店への好奇心旺盛な様子なども
そこにはあふれているはず。
伝わることの総量で見ていくと、
きっと「情報」の量よりも、
「感情」の量のほうが多いのではないでしょうか。
それは、直線的なベクトルで「伝えるもの」というよりも、
放射線的ににじみ出ていく「伝わってしまうもの」と
捉えた方がいいかもしれない。
自分を360度から見られている感覚というのは、
そういう意味ですが、
これは決してネガティブな意味ではなくて、
自分を360度から「見せることができる」と
言い換えられると思います。
まあ、そんなこんなで、
今後セルフブランディングという言葉が、
日常用語になっていくのでしょうが、
情報勝者ならぬ「感情勝者」というものが
出てきてもおかしくないような、そんな予感がします。
つまりは先日の「楽しそうな人最強説」に
つながるんですけどね。
あー、楽しい(ヘタクソ)。
2011年12月3日土曜日
楽しそうな人最強説
最近わかってきたことは、
「楽しんでる人は強い」ってこと。
楽しそうというだけで何だか魅力的だし、
結局そういう人のところに
人も仕事も集まるように思います。
逆のこともまた当然のように起こるわけです。
つまらなさそうな人、
不満っぽい人、愚痴っぽい人とは、
距離を置きたくなるのが人情というもの。
前者と後者で何が違うのか。
楽しそうな人はラッキーなことばかり起こっているのか。
つまらなさそうな人は不幸のループに陥っているのか。
それはそうなんだけど、
実はそうじゃないんじゃないでしょうか。
楽しそうな人だって残念な出来事はあるだろうし、
つまらなさそうな人だって
幸せのかけらは降ってきているはず。
もっと言えば、現象そのものには
「楽しい」とか「つまらない」とか
そんなもの決まってなくて、
それを受け取った人が、
どう感じるかを決めているだけだと思うのです。
楽しいことが起こるから
楽しいのではなくて、
何でも楽しんでいるから
楽しく生きられる。
つまらないことが起こるから
つまらないのではなくて、
何でもつまらなく感じているから
つまらなく生きてしまう。
…と、ここで結論づける気はありません。
こんなこと、あやしい宗教ですら言っている。
だけど、人間そんなに器用に生きられるわけがない。
それはよくわかってるので、ここでまた提案です。
「楽しい」と思ったことは積極的に
たくさんの人に振りまく。
「つまらない」「不満」「愚痴」の類いは、
極力自分の中に留めておく。
もしくは、ひとつの「つまらない」につき、
一人にしか伝えない。
これ、そんなに難しくない上に、効果絶大です。
昔見た大阪のローカル番組で
「おばあちゃんに好きな食べ物を尋ねると、
“なんでも食べるよ”と答える」という法則を
検証したものがありました。
結果は本当にその通り。
人生の達人たちは、
どんなものもおいしくいただいてしまうのです。
嗚呼、リスペクト。
「楽しんでる人は強い」ってこと。
楽しそうというだけで何だか魅力的だし、
結局そういう人のところに
人も仕事も集まるように思います。
逆のこともまた当然のように起こるわけです。
つまらなさそうな人、
不満っぽい人、愚痴っぽい人とは、
距離を置きたくなるのが人情というもの。
前者と後者で何が違うのか。
楽しそうな人はラッキーなことばかり起こっているのか。
つまらなさそうな人は不幸のループに陥っているのか。
それはそうなんだけど、
実はそうじゃないんじゃないでしょうか。
楽しそうな人だって残念な出来事はあるだろうし、
つまらなさそうな人だって
幸せのかけらは降ってきているはず。
もっと言えば、現象そのものには
「楽しい」とか「つまらない」とか
そんなもの決まってなくて、
それを受け取った人が、
どう感じるかを決めているだけだと思うのです。
楽しいことが起こるから
楽しいのではなくて、
何でも楽しんでいるから
楽しく生きられる。
つまらないことが起こるから
つまらないのではなくて、
何でもつまらなく感じているから
つまらなく生きてしまう。
…と、ここで結論づける気はありません。
こんなこと、あやしい宗教ですら言っている。
だけど、人間そんなに器用に生きられるわけがない。
それはよくわかってるので、ここでまた提案です。
「楽しい」と思ったことは積極的に
たくさんの人に振りまく。
「つまらない」「不満」「愚痴」の類いは、
極力自分の中に留めておく。
もしくは、ひとつの「つまらない」につき、
一人にしか伝えない。
これ、そんなに難しくない上に、効果絶大です。
昔見た大阪のローカル番組で
「おばあちゃんに好きな食べ物を尋ねると、
“なんでも食べるよ”と答える」という法則を
検証したものがありました。
結果は本当にその通り。
人生の達人たちは、
どんなものもおいしくいただいてしまうのです。
嗚呼、リスペクト。
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