このことについてコメントを寄せたり、
文章を書いたりするんだろうけど、
僕も今日ばかりは書きたい。
スティーブ・ジョブズが死んだ。
今朝、このニュースを目にした瞬間は
にわかには信じられず、
だけど、かき集める情報が
そのことを事実だと証明していき、
心にぽっかり穴が空いていくのを感じた。
まさかジョブズが自分にとって
ここまで大きな存在だったとは。
「失って気づく大切さ」という人間の業の
最もスタンダードなやつを
思い知ることとなってしまった。
昨晩は桑田佳祐のライブDVDを見ていた。
食道ガンの手術後、初の本格的なライブ。
舞台として選んだのは宮城県仙台市であり、
この復活ライブは復興支援ライブでもあった。
一つひとつの楽曲がいいのはもちろんのこと、
エンターテイメント性あふれる桑田佳祐のステージは
どれもすばらしいの一言に尽きるのだけれど、
今回のライブは神懸っていた。
慣れした親しんできた歌声は病気前と変わらず力強く、
歌う喜びと、被災した方へのエールと、
復興への祈りと、亡くなった方への哀悼と、
復活を待っていたファンやスタッフへの感謝にあふれていた。
目頭が熱くなった。
桑田さんは来年の2月で56歳。
スティーブ・ジョブズと同級生なのだ。
並べるのもおこがましいが、
奇しくも僕の両親も56歳だ。
ジョブズの死は、
ひとりの世界的な経営者・技術者がこの世を去った、
ということ以上の意味を持っている。僕にとって。
初めて自分で買ったアップル製品は、
初代iPod Shuffleだった。

フリスクのケースを思わせるおもちゃのようなボディ。
1万円を切る価格で、100曲以上つめこむことができる驚き。
そう言えば、当時はMDウォークマンからの乗り換えだったので、
容量を表現するのに「分」ではなく「曲数」だったのも驚きだった。
MDは1枚で76分とか、そんなもんだった。
それから、いくつかのApple製品を手にしてきたけど、
その都度何か新しいことを教わったような気がする。
MacBook Airからは「仕事はどこでもできる」ということを学んだし、
iPhoneからは「価値とは物ではなく機能に宿る」ということを学んだし、
iPadからは「使い道考えずに飛びつくな」ということを学んだ。
「必要なかったかなあ」と買った後に思ったとしても、
不思議と後悔はない。これもまたAppleの魔法かもしれない。
Dr.ヒルルクはこう言った。
「人はいつ死ぬと思う?(中略)人に忘れられた時さ」
ジョブズはクラウド化した、と表現した人がいたけど、
案外それは正解かもしれない。
ありがとうジョブズ。iPadの使い道、考えてみるよ。
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