おじさんが若者を見て言う。
「自分が君くらいの歳の時は、
もっと馬鹿だった。
今の若者はよく物を知っているし、
立派な考えを持っている」
褒めているのかと思っていたら、
あっという間に憂いにすり替わる。
「だが、小さくまとまってるなあ。
無謀でも何かにチャレンジする気持ちとか、
ガムシャラに何かに熱中するとか、
そういう熱いものはないのかね?」
うーん、ちょっと違うのではないだろうか。
教育というのは、経験則の集大成だと思う。
たとえば、僕らは食べられるキノコを
いくつか知っているけど、
昔の人はそれを知らなかったわけだ。
シイタケは食べられるけど、
ナントカワライダケは食べちゃダメということがわかったのは、
かつてナントカワライダケを食べた人がいたから。
それを食べて当たってしまったり、
死んでしまった先人がいたからなのだ。
先人たちの失敗や尊き犠牲を積み重ねた先に、
僕らの知識は存在している。
だとすれば、昔の若者より今の若者の方が
賢いというのは当然なのではないだろうか。
昔の若者が失敗した、その同じ轍を踏まないように、
彼らはその経験則を次世代に受け継いできたのだろう。
そして、それは着実に根付いている。
教育は成功しているのだから、そのことに胸を張ればいいと思う。
すぐ憂いちゃうのは悪いクセだ。
だけど、教えられないこともきっとある。
つまづかないように気をつけることは教えられるけど、
転んだ時にどうやって起き上がるかは教えられない。
おじさんたちよ、心配しなくても若者は転びます。
そしていつか、自力で起き上がります。
大丈夫。
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